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奄太郎が語る!仕事と遊びと諸国行脚!

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2005年05月25日
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カテゴリ:安土桃山・江戸
            上 中西立太 復元画 大奥呉服の間

 江戸時代の着物屋、すなわち呉服屋のお得意先、それはいわずもがな「大奥」です。大奥には認可をもらった呉服屋がえらい出入りして着物屋の荒稼ぎの現場となっていました。

 着物を仕立てることは、大奥内の数十人のお針子さんがいて、身分の高い人の着物を縫っていました。彼女たちは自分専用の支給された針をなくすとクビが飛ぶと
いう厳しい職業環境だったようです。

 しかし、そんな彼女たちには役得もあり、大奥で注文した着物の歯切れなどをもらえたのです。大奥で購入する着物は当然高価なものが多く、かなりいい着物が出来る状態になったといいます。

 ちなみに、たくさん着物を欲しいのは女性の常ですが、当然幕府のお金で買うわけですからそっちのほうがピンチになってきます。

 江戸幕府の創業者は例の徳川家康さんですが、彼自身は倹約家で生活も貧しく、お金も十分貯まっていました。更に豊臣さんを滅ぼして豊臣家のお金をパクッてきて東照宮に貯めていたので幕府の財政は満ち溢れていたのです。
 
 しかし、家康さん死後数十年でちょっと財政がやばくなってきたので、大奥に節約するようお触れを出したのですが、家康さんの曾孫で犬公方といわれた綱吉さんのころになると元禄文化の風潮もあり家康さんの貯めていたお金もスッカラカンになってしまいました。当然、大奥が一枚噛んでいます。

 将軍綱吉さんはお母さんが京都の呉服屋のお玉ちゃんという一町人だったため、そのお母さんの計らいで、不景気な西陣の回復の為、膨大な発注をかけています。現在、西陣の着物が全国区になったのはこの影響が大きいですね。

 まあ、このころから幕府内部では表(政治場)の節約命令と奥(大奥)の贅沢行為のいたちごっこが始まります。

 当時の彼女たちの服装などはまた、改めてお話しするとしましょう。

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本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから)
   http://www.amakara.jp   
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最終更新日  2005年05月25日 06時01分02秒
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