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奄太郎が語る!仕事と遊びと諸国行脚!

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2011年07月06日
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カテゴリ:安土桃山・江戸
 先日、高崎、軽井沢とまわった時、群馬県の「楽山園」に行ってきました。

 織田信長は誰でも知ってる歴史人物ですが、その末裔がどうなったのか、あまり知られていないのではないでしょうか?

 織田家は、江戸時代も大名として存続していました。たとえば将棋の駒で有名な山形の天童で大名していたり、この群馬県の小幡で大名として存続していました。

 ちなみに著名な戦国大名には今川家や後北条家のように江戸以降も高家や小大名で存続していた例はけっこうあります。足利将軍家なんかもそうですね。

 織田信長の子供信雄の子孫はこの小幡にいたのですが、この信雄、政治的より芸術の分野で結構なお手前だったようで、楽山園という見事な庭園を残しています。有楽斎と似ているでしょうか?

 信雄は時代劇とか歴史小説には凡庸に書かれることが多いようです。しかし、子孫を存続させるという点では見事だと思います。

 どうしても人間は「ドラマ性」を好みます。だから信雄は、お父さんと違ってまず歴史ドラマになることはありません。やはりサラリーマン的な生き方より会社起こして失敗して成功した人の方がいいわけです。歴史は「チャンバラ時代劇」の方がウケがいいわけですね。

 ところでこの楽山園、私が初めて行った時はまだたんなる「池」状態でした。

 数年ぶりに行ってみたら見事に整備され、藩主居館の復元までされていて感激してしまいました。

 「お城好き」はけっこう多いのですが、このような「陣屋」はあまりクローズアップされません。全国の遺構の残存状況も悪いです。しかし、江戸時代のお城が「お城」だったのは初期の頃だけで、あくまで「県庁」とか「役所」みたいなもんですから、本当はこのような陣屋の研究がもっとされるべきなんだと思います。

 その点、復元されてる小幡陣屋と楽山園は大事な遺産になりそうです。

 

 

 





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最終更新日  2011年07月07日 05時11分14秒
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