テーマ:プロ野球全般。(13396)
カテゴリ:メジャーリーグ
松坂大輔vs松井秀喜の対決で注目された
レッドソックスとヤンキースの一戦。 2人の対決は3度あった。 第一打席 中飛 第二打席 四球 第三打席 中飛 そして松坂の成績は、6回を投げ 打者27、被安打5、奪三振7、与四死球4、失点4。 決して松坂の調子は良くなかったようだ。 テレビで解説をしていた与田剛氏(木更津中央高- 亜細亜大-NTT東京)が盛んに言っていたけど、 「セットポジションになると抜ける球が多かった」。 特に4回、3つの四球を連発し不運な安打も重なって 一挙に4点を失った。 以降は立ち直り、6回を投げ切って勝ち投手の権利を得た ままマウンドを降りた。 ---------------------------------------------------- いま日刊ゲンダイでは、「松坂大輔物語」という記事を 連載している。 両親の出会いや松坂の赤ん坊の頃から物語が始まり、いまは シニアリーグ(中学硬式野球)時代について描かれている。 所属していたのは、東京にある江戸川南シニア。 知る人ぞ知る「超」名門のチームだ。なのにある日、 松坂は「野球を辞めたい」と言い出す。理由はポジションを 投手から外されたことが面白くないという。 一度言い出したら、総監督や親などオトナの言うことにも 頑として首をタテに振らない松坂。その様子を見て一計を 案じた総監督、知り合いの帝京高・前田三夫監督に松坂の 目の前で携帯電話で連絡をする。 「うちのチームにいる松坂という投手を憶えているだろう。 高校は帝京に入れてくれないだろうか」。 以前、江戸川南シニアのゲームを観戦し、松坂を気に入っていた 前田監督、あっさりとこう答えた。 「あのプックリした投手だろ。いい投手だ、帝京に来いよ」。 何としても高校生になったら、投手として甲子園に行きたい! そんな夢を持っていた松坂、甲子園に最も近い高校は帝京高と 考えていた。だから「帝京」と聞いて松坂はニッコリ微笑んで、 シニアで野球を続けることに同意した。 最終的に「帝京高」ではなく「横浜高」に行くことになるのだけど (その理由は後日)。もしこの時、「野球を辞める」という松坂を 誰も止めることができなかったら、メジャーのマウンドに立つ今日 の松坂の姿はなかった。 テレビを見ながら、その記事のことを思い出していた。 いつもご協力をありがとうございます。 人気ブログランキングに参加中です。 クリックをお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.04.28 12:30:26
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