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あま野球日記@大学野球

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2010.03.25
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カテゴリ:大学野球

■以下、毎日新聞より。

早稲田大学野球部の初代主将を務めながら家業を継ぐため中途退学した「大橋醤油
(しょうゆ)店」(古河市諸川)の当主、故・大橋武太郎さんの未完の夢を伝えたいと、
来年の創部110年を前に今月20日から発売された記念醤油「初代主将」(150ミリ
リットル、400円)が反響を呼んでいる。初代主将の記念醤油は電話でも注文可能。
電話0280・76・0002。

武太郎さんは、創業160年以上続く同店の5代目。1901年、早稲田大学(当時は
東京専門学校)に発足した野球部の初代主将に就任したが、チームの米国遠征を
めぐり、家業を継ぐよう促していた武太郎さんの父親の逆鱗(げきりん)に触れ、退学
を余儀なくされた。


■早稲田大野球部、初代主将・大橋武太郎さんのこと。
『ニッポン野球の青春』(菅野真二著、大修館書店刊)には、この大橋さんに関する
記述が何点かあった。 

(1)明治34年、東京専門学校では来秋より大学と称する準備として高等予科を設置
し、学生を募集すると、郁文館の大橋武太郎がやってきた。大橋は郁文館時代、一高
と2回試合をやって2回とも勝った捕手で、その名は都下に鳴り響いていた。

(2)同年、チーム名は「腕前はともかく元気だけはどこにも負けない」という意味で、
「チアフル倶楽部」に決め、主将は大橋が務めることになった。個々の選手の力量は
高いものの、まともな練習ができず、近所の子供たちにも馬鹿にされるほど弱いチー
ムだった。

(3)明治35年、前年に強豪・学習院に勝利し、待望のグラウンドも完成。チアフル倶楽
部もいよいよ軌道に乗ってきたと思われた9月、主将の大橋が家庭の都合で突然退学
することになった。ようやく橋戸信、大橋のバッテリーが揃ったと思う間もなく、大橋を失
うのは大黒柱が折れたにも等しい。大橋の退学後、代わって橋戸が主将となった。
(以上、『ニッポン野球の青春』)

■とすると、学習院に奇跡の勝利を果たした時(明治34年)、大橋は主将でその試合
に出場していたことになる。だが、米国遠征第1回の早慶戦は大橋が中退後に行わ
れていて、大橋は参加していなかった。

 

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Last updated  2010.03.26 00:45:28
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