今日(3月30日)プロ野球の開幕にあたり、ボクが思い出すことは2つある。
■ひとつ目は1994年開幕戦、西武vs近鉄。
近鉄ファンだったボクにとって、この試合は「江夏の21球」「10・19」に匹敵するほどの大事件。苦い思い出として記憶に残っている。
4月9日、西武球場
近鉄 000 000 003 =3
西武 000 000 004X=4
(近)野茂‐●赤堀、(西)○郭
近鉄の開幕投手は、入団4年目の野茂英雄。この試合もトルネードは威力を発揮。球威とフォークの切れは抜群で、西武打線を8回まで0点に抑えていた。しかもノーヒット。
近鉄は9回表に石井浩郎の3点本塁打で先制し、誰の目にも優位は揺るがなかった。
しかしドラマはここから始まった。
9回裏、先頭の清原和博が意地で右越えに二塁打を放ち、まずノーヒットノーランの夢が打ち砕かれる。その後、四球とエラーで一死満塁になり、近鉄ベンチはリリーフエース赤堀元之を投入した。
迎えた打者は伊東勤。そして赤堀の8球目を伊東が弾き返し、打球は左翼スタンドに消えた。逆転満塁サヨナラ弾。
試合後、興奮して声が震えた伊東と対照的に、野茂は無言を押し通した。ノーヒットノーランどころか、完封も勝利さえも失ったのだから当たり前かもしれない。それにしても、試合前「開幕戦は野茂と心中や!」と言っていた鈴木啓示監督の変心ぶりは何だったのか。投手心理は人一倍熟知しているだろうに・・・。
この出来事が2人の確執の一因と言われ、後々まで尾を引く。結果、翌95年、野茂はドジャースの一員として開幕を迎えることになった。
■二つ目は、昨年(2011年)開幕前の渡辺恒雄さんの「迷」言ぶり。
3月11日、東日本大震災が各地に被害をもたらした。原発事故、電力不足が起こり、開幕の延期を選手会、世論が訴える中、渡辺さんが平然と言った。
「開幕を延期しろとか、プロ野球をしばらくやめろとか俗説がありましたが、大戦争のあと、3ヶ月で選手から試合をやりたいと声があり、プロ野球を始めました。フェアプレー、緊張した試合をすれば見ている人は元気が出て、エネルギーが出て生産力が上がる」
終戦後、たった3ヶ月後に始まったプロ野球とは、1945年11月23日、神宮球場で行われた「東西対抗戦」のことを指す。この発言を聞き、「東西対抗戦」と2011年の開幕を一緒に論じるのはいかがなものかと思ったものだった。
終戦直後、たった3ヶ月で奇跡的に開催できたのは鈴木龍二さん、小西得郎さんや川村俊作さんのような「職業野球復活」に賭ける人たちがいたからこそ。道具類をかき集めることから始めた彼らの情熱的な行動が、選手たちの気持ちを動かし、ファンを球場に誘った。また戦争が「終結」したという事実が人びとに安堵感や解放感を与え、その空気が下支えした。
昨年はまるで事情が違った。
決定的に違うのは、まだ何も「終結」していなかったこと。東日本では余震が続き、いつ再び大地震が襲うかまるでわからない不安が覆っていた。また被害からの復旧、原発問題、そして電力不足、何ひとつ解決していなかったのだ。
まるで空気を読めない傲慢さに、いつもながら辟易したことを憶えている。
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