(前回の続き)
■1979年11月4日(日曜日)、日本シリーズ第7戦。9回裏、1点差を追う近鉄バファローズのチャンスは、石渡のスクイズ失敗により、無死満塁から二死二・三塁に変わった。二塁ランナーは平野光泰、三塁は吹石徳一、そして打席に石渡茂。
広島 101 002 000 =4
近鉄 000 021 00 =
【近鉄メンバー】
1(6)石渡 茂
2(3)小川 亨
3(9)チャーリー・マニエル
4(7)栗橋 茂 → (PH)(2)梨田 昌孝
5(2)有田 修三 → (7)池辺 巌
6(5)羽田 耕一 → (PR)藤瀬 史朗
7(4)クリス・アーノルド → (PR)吹石 徳一
8(8)平野 光泰
9(1)鈴木 啓示 → (PH)阿部 成宏 → (1)柳田 豊 → (PH)永尾 泰憲
→ (1)山口 哲治 → (PH)佐々木 恭介
■前回のブログで、ボクは近鉄バファローズの魅力をこう書いた。
「ファンを歓喜と落胆の対角線上を激しく往復させた。一試合一試合をめぐって、監督、選手、ファンに様々な感情を交錯させた。近鉄バファローズとは、あるいはこのさまざまな(見ている者の)喜怒哀楽が最も沸き立ち浮遊し交錯させる球団だった」。
これは「敗者の美学『江夏の21球』の私的検証」を書き始めた時から、ボクの頭に明確にあったわけではない。1球目から振り返るうち、近鉄の魅力とは、きっとこういうものだったろうと思うに至った。『江夏の21球』とは、まさに近鉄の魅力が凝縮された試合だったと、今、しみじみと思うのだ。
「江夏の21球」、「10・19」いずれも球史に残る伝説の試合である。この2つには共通点がある。それは、どちらも近鉄の試合であること、そしてどちらも近鉄は敗れた側(勝ち切れなかった側)だったこと。つまり近鉄が球史に残した試合は、いずれも近鉄は敗者の側から語られているのだ。
勝負ごとは勝たなければいけない、それはよく聞く言葉。ボクもまったく同感だ。ただ元々力のなかった者が何かをきっかけにして力をつけ成長し、いよいよ頂点を目指すも、最後に力尽きて敗れてしまう・・・。その近鉄という球団のありようは、敗者であっても美しいものにボクには見える。『敗者の美学』という表現は、近鉄だからこそ許されるのだ。
■最近、なぜかオリックス球団が近鉄バファローズのユニフォームを着て野球をやっている。なぜそんなことをやっているのか、ボクにはまるで意味がわからない。ボクの記憶が正しければ、オリックスの前身は、たしか阪急ブレーブスではなかったか。
・・・・目障りだ。
近鉄への思いは、なにもユニフォームという布きれにあるのではない。勝つためにもがき続けた選手たちの、成功も失敗もひっくるめたすべてのプレーにあった。T-岡田に近鉄のユニフォームを着せて、ファンに何を懐かしめというのか? きっとオリックス球団の担当者は、これまでの野球をよく知らないのだと思う。というか、近鉄ファンに対してまことに失礼である。
■写真は当ブログの読者・zappaloesさんが、球団消滅の頃(2004年)に応援風景を撮影したもの。
ボクは近鉄の試合を相当数見たものの、応援団と一緒に応援したことはあまりない。「10.19」(川崎球場)の時と、息子が小さい頃にせがまれて西武球場のレフトスタンドに入ったことがあるくらい。いつも応援団とは距離を置いていた。
でも、この写真には懐かしさを感じる。オリックスの選手に近鉄のユニフォームを着せるくらいなら、近鉄ファンを集めてオーロラビジョンで「江夏の21球」や「10・19」を見せてほしい。それならば、ボクも一緒に声を枯らして応援する。
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