■今日(11月24日)、明治学院創立150周年を記念し、明治学院大(首都大学リーグ2部)―東京大(東京六大学リーグ)の対抗戦が神宮球場で行われた。
なぜ今日、明治学院と東大が対戦したのか? 少し説明が必要だ。
当時華々しい活躍をしていた白金クラブ(以下、白金。明治学院の前身)と、ライバルの第一高等中学校(以下、一高。東京大の前身)が対戦したのは、今から123年前、1890年(明治23年)5月のこと。今日行われた試合は、この時の再現試合だった。
実はこの1か月ほど前、白金は駒場農学校(以下、駒場。後に併合し東京大に)との試合に敗れていたため、駒場に報復を計るべく画策していたのだが、「もし再度敗北したら、更に恥の上塗りである」と考え、まずは一高に勝利した後に、駒場へ雪辱戦を挑むという段取りだった。
前哨戦ともいうべき対一高戦は、前述のとおり1890年5月2日、本郷向ヶ丘にある一高のグラウンドで行われた。
■試合の模様は『日本野球史』(国民新聞運動部編、昭和4年7月18日刊)に詳しいので、以下に引用。
一高の選手たちは、体操部の所蔵にかかる青小倉の古洋服を着ているのに反して、白金は白シャツに天鵞絨(ビロード)でM字を型取ったマークを胸に付け、フランネルの半ズボンの膝頭には赤糸で桜花を刺繍してあったのが、殊更目に立って威風四辺を払うの概があった。しかもその指導者が白面巨大のマグネヤとて、一高の方は戦わざるに呑まれた概がある。・・・学制の変更から一高に編入された正岡子規が捕手を承り、蛮勇をもってこのハイカラ軍を一蹴せんとし、白金は白洲兄弟がこれに当たった。
■ただ、このまま試合が終わっていれば、歴史に残ることはなかったし、今日再現試合を行うこともなかった。6回終了時点で白金が6-0とリードしているところで、遅れて教え子たちの応援に駆け付けたのが明治学院の教師ウイリアム・インブリ―だった。
インブリ―は入口が分からず、たまたま垣根を飛び越えてグラウンドに入ったため、礼節を重んじ正門主義を唱える一高は無礼と受け取り、インブリ―を暴行し、重傷を負わせた(=インブリ―事件)。原因は、正門主義のほかに、この時代の西洋人排斥の風潮、そしてバンカラ官学対ハイカラ私学の構図が根底にあったと見ることもできる。国際問題に発展しかねない事件だったが、被害者のインブリ―が矛先を収め、どうにか穏便に解決した。
書籍『白球太平洋を渡る』(版元?)には、こう書かれている。
この事件(インブリ―事件)は一高の野球を『校技』に位置付け、全寮あげて名誉挽回のために従来の弄球快戯的なものを捨て、悲壮な覚悟を持って猛練習に励んだ。彼らのエリート意識は寮生にあてた檄文で『第一高等中学が全てのものに優位にたたねばならぬ』と論じるほどであった。つまりこの事件こそが精神野球の始まるきっかけとなったのである。明治23年11月にはついに白金を破り、更に12月には溜池にも大勝し、翌年、白金・溜池連合軍を破ると一高精神野球は国内に敵なしという状態になった。
このインブリ-事件を発端に、日本国内に「精神野球」が波及したのである。
※余談だが、11月に両チームが再戦し一高が勝利するのだが、一高の5番・二塁手で出場したのが、ベースボールを野球と訳した、中馬庚である。
(写真)再現試合にふさわしいユニフォーム(胸のマーク)、帽子。上が明治学院、下が東京大。