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あま野球日記@大学野球

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2013.12.19
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テーマ:日本野球史(134)
カテゴリ:少年野球

前回の続き。




ざっくり言うと

1.ボクたちの少年時代の野球は、自分たちが主体的に楽しむものだった
2.それは、阿久悠さんの時代から連綿と続く「野球の原風景」だった
3.しかしいま、野球は「お稽古ごと」のひとつになり、野球の中身が変わってきている


■大人の介在しない、子供たちだけで楽しむ「野球の原風景」がそこにはあった。

さて、いまの子供たちはどうだろうか? 阿久悠さんのコラムを読んで、ふと、そんなことを思った。ボクたちの世代の多くは、自分と野球が一体化したものだった。そこに距離感はなかった。だから今も野球を好きでいられる(と思っている)。



■10年ほど前、息子がリトルリーグの、とあるチームに入団した。それに伴い、ボクも父兄の一人として、休日はいつもチームの練習や試合に参加した。

リトルリーグは、世界や全国の上部組織から各支部や各チームに至るまで統制が利いており、一糸乱れがない組織だった。息子はグラブやスパイクなどの道具の清掃や道具の整頓、挨拶、声だし、チームワークの大切さ、そして野球の技術について教えていただいた。おそらく軟式野球やソフトボールのチームもリトル同様、子供たちへの指導が行き届いているものと思う。



■しかし、昔といまでは、同じ野球でもひとつだけ大きく違う点があるように思う。それは子供たちと野球の間にある「距離感」だ。数年前、少年野球のコーチが嘆いていた話を思い出す。

「いまの子供たちはテレビでプロ野球を見ないんだよ。家でゲームばかりやっている。だから、プロ野球選手の誰々のフォームをマネしてみろと言っても、子供たちは、それがわからない。選手名さえ知らないこともある。昔の子供はそうじゃなかったのに・・・」。

その話を聞いた時、いまの子供たちは、自分のやっている野球とテレビで見るプロ野球はまったく別ものと考えているのでは? と疑問を持った。ボクはその疑問をもやもやした気持ちとともにずっと今日まで引きずっている。

(とても説明しづらいが)レベルが異なるから、その意味でプロと少年野球が異質なことは当然である。でも、同じ野球なのだから、この2つは一本の線でつながっているものと思うのだが、それが、いま、どこかで分断されているように感じる。

言い方を変えれば、いまの子供にとって野球はたんに「お稽古ごと」のひとつであって、大人から「教えられる」ものと受け止めているのではないか。それはボクたちの世代にあった「自分たちで楽しむ」野球とは大きく異なっていて、いまの子供たちと野球の間に「距離」を感じるのだ。



■いったい、それの何が問題か? と問われれば、正直言って答えようがない(笑)。
ただ、空地で草野球に興じる子供を見かけなくなって久しいが、この傾向が今後10年20年経った後、阿久悠さんの時代から文化として連綿と続いた野球が、少しずつその中身を変えていくような気がするのだ。

 

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Last updated  2013.12.20 09:09:51
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