楽天監督に就任した梨田昌孝さんのことを。
■現役時代に最も記憶に残るのは、1988年10月19日の「伝説の10・19」です。
ダブルヘッダーの第一試合、3-3の同点で迎えた9回表。同点引き分けでは優勝可能性が消滅する近鉄は、代打・梨田が中前に適時打を放ったことで勝ち越しに成功しました。この時点で、優勝の可能性を残す貴重な一打となりました。
直前には走塁ミスがあったり、阿波野の緊急登板があったりで、三塁側応援席で観ていたボクの感情はジェットコースターの如くに天国と地獄を慌ただしく行き来していましたが、結果的にこの一打が試合のピリオドを打ってくれました。
■実はこの直前、不思議なシーンがありました。仰木彬監督はなかなか「代打、梨田」と主審に伝えなかったのです。梨田自身は「自分の出番」とばかりにネクストで待機していましたが、仰木さんはずっと突っ立ったまま空(くう)を見つめていて・・・。ん、代打はだれ? 梨田じゃないの? なんて想像を巡らすことができるほど長い時間があって、その後にやっと梨田と告げました。
あの間(ま)はいったい何だったのでしょうか? 後日、仰木さんは「梨田もこれが現役最後の打席かぁと、感慨に耽っていた」と述懐していましたが、それは違うと思うのですよ。次に第二試合が控えていたから、そこで梨田が打席に立つ可能性もあるわけだし。梨田自身も「なぜあの時、すぐに代打・梨田と言ってくれなかった?」と訝っていましたから。
そんな中で、梨田は決勝打を放ちました。「なぜすぐに代打を告げない?」「なんとか優勝の可能性を残せるように適時打を打ちたい」「ひょっとしたら現役最後の打席になるかもしれない」。この写真の人生初のガッツポーズは、慣れない、ぎこちないものだったけれど、そんな複雑な感情が入り混じった中での快打だっただけに、とても輝いて見えるのです、きっと。
(写真)NHK『ヒーローたちの名勝負』より。 以下も同じ。
(写真)本文と関係ありませんが、佐藤の走塁ミス、梨田の適時打とガッツポーズ、そして生還した鈴木貴と中西の抱き合って転げまわるシーンは、すべてセットになって記憶しています。
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