2007/05/03(木)14:12
<補足3>【壱】広州-杭州 列車旅の思い出
<補足3>に続きます。
>広州駅に切符を買いに行ったら。
>途中ダフ屋につきまとわれてしまい。(手を握って離さない。)
>私は中国語話せる事が嬉しくて、イチイチ受け答えしていたら
>友人が不機嫌になってしまいました。
この頃の私や同級生、そして恐らく世間の中国に対するイメージは
「キツイ」
「キタナイ」
「キケン」
実際、「サービス」という概念すらない状態で。
一応「服務」という言葉があったけど、
イコール「サービス」と翻訳するのが
ためらわれるようなレベルの違いがありました。
(今は大分接近したけどね)
スーパーなんてないし、
「小売部(売店)」で買うしかないし。
売り子に「あれが欲しい」と言っても、無視される(悲)
何回も「ちょっと!すみません!」と大声で話しかけると、やっと
「あ~???」
と反応するくらい。(これが、またムカつく)
ここで一瞬ひるむ。
が、再度勇気を振り絞って
「我要這個(これが欲しい)」と指さす。
無視。
もしくは「没有(ない)」
あるがな、そこに~!!!(イライラ)
と指さしても、
「没有!(ない)」
*これは前年の北京での体験。上海は少しマシでした。
吃 大鍋飯(chi1 da4 guo1 fan4)
大きな鍋の御飯を食べる…のが直訳。
実際の意味は(大体ですが以下)
昔の国営状態。待遇は利益に基づくものでなく
国家を「大鍋」に例え、国民みんなで、それを食べる…
当時の社会主義に基づく「機械的平等」状態を皮肉った言葉。
今でも公務員や団体に頼る怠け者に対して使います。
国が生活の面倒みてくれるんだから
頑張っても、怠けても給料は一緒。
だから、なるべく働かない。
極端に言えば国中、大量の「給料ドロボー」であふれていた。
如何に楽して生活するか、
頑張って働くヤツはアホだ。
今でも持ってる考え方だけど、
あの頃は「それで良し」と堂々と、まかり通ってた。
頑張ってるのは一部の「個体戸(個人経営者)」だけ。
市場経済が浸透している現在とは
全く違う世界でした。
そして大きな背景としては:
1990年代の初めに、計画経済が正式に放棄され、社会主義市場経済が導入された。
中国では、改革開放の開始とともに、市場経済化の是非を巡って論争が続いたが、
トウ小平氏は1992年1月から2月にかけて深センなど広東省を中心に中国の南部を視察し、
市場経済問題に関する多くの重要な談話を発表し(いわゆる「南巡講話」)
論争に区切りをつけた。
そして同年10月に開催された第14回中国共産党全国代表大会(党大会)において
「社会主義市場経済」が体制改革の目標として確立された。
今思えば、大きな変わり目の時期だった。
当時は、そんな事深く考えていなかったけれど。
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そんな時代背景だから、皆、日常からイライラしやすいし。
ニコニコと声をかけてくる見知らぬ他人は
騙そうと考えている人達が殆どだ、と。
楽しい旅行のはずなのに
騙されるな!
とピリピリしていた。
緊張感みなぎるのが通常だったのです。
なのでダフ屋なんて相手にしない。
…のが鉄則だったのですが。
私なりの考え方は。
周囲を拒否ばかりしていたら中国が分からないのではないか…
中国人がどんな人達が知りたい。
ギリギリまで接近したい。
それに会話の練習だってしたいもん…
なので切符売り場を探している時に若いダフ屋
(ちょっと小奇麗な男前だったのもある←有る意味ポイント)
が話しかけて来ても
「不要(要らない)」と言った後、完全無視する事は出来ず、
「どこから来たの?」
「……」
「ねえ」
「え…日本(小声)」
(話しかけられて無視は失礼と思った。またウソは良くないと思った)
「へぇ~日本。…切符要らないの?」
「要らない。自分で買うから(愛想笑い)」
「いくつ?」
「…XX歳」
「へぇ~(驚)もっと若く見えるよ~15歳くらいに」
「ハハ…謝謝^^;;(ちょっと喜んでる)」
「切符売り場は、あっちだよ」
「そうなの?(驚)」
「連れて行ってあげるよ」
「…いいよ、自分で探すから。どう行くか教えてくれればいい」
「ややこしいから連れて行ってあげるって」
「…え~…どうしよ…(困惑)」
この時、ダフ屋は何気に私の手を握ってナデナデしていた…
このやり取りの間、ずっと黙~っていた大連留学生は突然、
「アカンで!アコちゃん!」
急に大声を出して、
「しっかりしなアカンで!
こんな手なんか撫でて、アコちゃんはバカにされてるねんで!」
…切れた。
(-。-;; ←私
…怒られた…
私がスキだらけやからイライラしてるねんな…
でもさ、私もアホじゃないからさ…
金銭がらみになったら逃げるし、
周りに人が沢山いるから話してるだけで。
人通りが少なきゃ絶対相手にせえへんよ…
…それにさ、切符売り場教えてくれるって言うねんもん…
自力で探したら、いつになるかワカランやんか…
現に、もう30分もウロウロしてるだけやのに(疲)
…もう一つ言うとさ、
手ぐらい、ええんちゃうの…
と思いつつも
こんな事をイチイチ説明するのが情けないし、
また言ったら言ったで余計ややこしくなると思って
(語学力が劣っている負い目もあったし)
「ゴメン…」と謝った。
そんな雰囲気を察知したかどうかダフ屋は、
「じゃ、行くぞ!」と私の手を繋いて走り出したので
私も急いで大連留学生の手を握って、
3人手を繋いで、仲良くダフ屋と走っていって。
(勿論、人気が多い場所だったから)
大連留学生はメチャメチャ嫌がってたけど、
結果的にダフ屋はちゃんと切符売り場まで案内してくれて、
「祝NI們一路平安!(旅の無事を祈る、という意味の決まり文句)」
と去っていった。
一路平安!って教科書で見た言葉や~…(感激)
生の語学に触れている事が楽しくて仕方なく、
また怪しいダフ屋とは言え親切にしてくれた事が。。
私は素直に嬉しくて。
「謝謝!」と笑顔で(お辞儀つきで)御礼を言った。
大連留学生は黙ってた。
…私がしたい旅と、彼女がしたい旅は違うんやわ…
前年度の旅でも別の友達と、そんな事があった。
どちらが良い悪いの問題じゃなく
考え方の違いか。。
普段は仲良いと思ってても
一緒に楽しく旅行できるかは別問題やな…
そう思いました。
ふう・・・
<補足4>【壱】広州-杭州 列車旅の思い出
につづく。
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ちょっと苦い思い出…