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カテゴリ:鉄ちゃん四方山話
「昭和の写真帳」第17回 飯田線で松本へ
就職をした昭和50年(1975年)の初秋に当時名古屋支店勤務だった横浜支部長と飯田線(豊橋~辰野間195.7キロ)経由で長野に行こうと計画し豊橋駅から飯田線に乗車、当時の飯田線は戦前型電車(通称旧国)の宝庫で中でも、かって京都~神戸間の急行電車で快速を誇った日本の流線型電車や機関車の流線形ブームの先駆けとなったクモハ52型電車の最後の活躍で人気絶頂だった まず始発から116キロの天竜峡駅で降りて天竜峡や天竜川を見た1 そして129キロの飯田駅で下車し市内散策をしていると徒歩15分ほどの飯田市橋南公民館横にD51(通称デゴイチ)402号の保存機を発見、このSLは昭和15年(1940年)2月製造で47年(1972年)3月に中津川機関区で廃車、飯田市に寄贈され撮影後公民館は新しくなったがD511402号は変わらぬ姿で佇んでいるらしい カーブミラーに映った僕を横浜支部長に写してもらった(ミラーの下方にいる) 飯田市名物りんご並木、もっと秋が深まると赤や黄色の実がなる(11年後に見に行った) 166キロの駒ヶ根駅で降りて旅館「伊那路」宿泊 翌日180キロ地点の伊那北駅で電気機関車をバックに、この機関車は東海道本線東京 - 国府津間用にアメリカのウェスティングハウス・エレクトリック社(Westinghouse Electric/電気部分)とボールドウィン社(Baldwin/機械部分)の合作により1926年(大正15年)に6両が製造されたED53改造のED19と思われる、この飯田線仕様のED19機関車は今年しNゲージで発売され当然購入した 木製の窓を開け気持ち良く風に当たる僕 ほとんどの電車が中央本線の岡谷まで乗り入れている、岡谷で降りて諏訪湖へ、写真は湖へは31の川が流入するが唯一の出口天竜川への釜口水門、この水門は52年間活躍したが1988年に80メートル諏訪湖側に処理能力の高い新水門にその座を譲った、何故か僕は3分の2しか写ってない 池っぽい湖畔にて そして松本到着、別名烏城と呼ばれる 天主の完成は元禄時代と云われ昭和11年(1936年)国宝指定 旧開智学校(きゅうかいちがっこう)長野県松本市開智に残る明治時代初期の洋風校舎である。文明開化における学校の役割を絵解きしたようなデザインで、文明開化時代の小学校建築を代表する建物として広く知られている、竣工明治9年(1876年) 帰りは松本から名古屋まで特急しなのに乗車したが超満員で指定券を買ってなかったので通勤電車並みに立ったまま2時間余りのキツかった 飯田線の旧型電車は昭和58年(1983年)に全て廃車された、そのニュースを知り翌1984年グリーンマックス社のキットを購入、組み立て着色をし飯田線仕様に仕上げた、昨年から今年にかけて飯田線旧国の精密な完成品が何種か発売され当然僕のコレクションになっている
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Last updated
2015.05.13 14:40:04
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