音楽レビューと作家論・作品論
世界が一つであるかどうかは別として、音楽レビューなんかでよくある国の情報なんかはもはや必要ないよなあ、と思います東浦です。 ドイツ産新世代パワーメタル! とかなんとか、あるでしょう? 別にどこ産だろうとどうでもいいよなあ、という話。これが一般的な意見であるかどうかは分かりかねるけれど、一部のマニアを除けばその音楽がどこの国のどんな人から届けられているのか、というのはそれほど重要な問題ではないと思う。それよりもそのアルバムが、曲が、リフが、格好良いのか、美しいのか、基本軸はそこだよね。これはサブスク全盛、音楽コンテンツの形態が、一定の金銭を支払って写しを所有することから、毎月定額で配信を受信する権利を購入するものに変わってからこちら、より顕著になってきている大きな流れだと思う。何せ、ハズレを引いても痛くないから。 旧来の形態、CD1枚に三千円近く出していた頃だと、まあ新品でハズレ商品を買うのは辛いからやっぱりレビューを一所懸命に読むし、Burrn!とか買うし、なんだったら店頭で試聴もした。国情報もチェックしてドイツのメロスピ系ならまあ間違いないよな、なんて買い方もありっちゃあり。今じゃ、画面をポチッと押せば音が流れ始める。ハズレだと感じれば聴くのをやめる。それだけの話だから、まあアーティスト側からすれば恐ろしい時代だろうなあ。もちろん、音楽マニアな方からすればね、どんな国のどんな人がどんなプロデューサーと作り上げた作品なのかって相当に重要な情報だと思います。ただ、ほとんどの聴取者はマニアではないから。そういうマニア向けな、作家論的なレビューってのはどんどん無用の長物になってきていると感じるね。俺なんかは英語もろくに話せないアホだから出身地も性別も信仰も差別も何の関係なく、届けられた音楽が格好良ければそれで良いと思う。これはものすごい単純な話。 結局さ、音楽雑誌や評論が作家論的に作品を扱い続けるのって、その方が書きやすいからだよな。インタビューを受けてもらったりする利害関係もあるからあんまり作品論的な部分にぶっ込んで書くのはやっぱりきついと思うし、購買欲を掻き立てるためのレビューならそういう背景の話でそれっぽく仕上げるフォーマットが必要なのもわからないでもない。レコード会社への忖度のようなものも当然あるだろうと思う。だけど多くのマニアじゃないユーザーが求めてるのはどこに生まれたどんなバンドでこんな音楽です、なんて情報じゃない。人物に寄りすぎてない、一つの楽曲、一つの作品をどう評価するのかっていうものすごいシンプルな話だと思うんだよね。今のレビューの類はさ、作家論的なものすごいマニアックな情報なのに、ものすごくそれっぽく、素人向けでござい、と言わんばかりに煙に巻くような文章でごにょついてるだけだよな。つまりどうなのよって話が全然伝わってこねえんだよ。だから俺は音楽雑誌に金を使うことは完全にやめたし、人のレビューは一切読まなくなった。そんな時間があれば1曲でも2曲でも聴くよ。サブスク時代最高です。今日はそんなお話。