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セミリアイア「晩年」日記

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2021.12.19
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カテゴリ:教師論
​ 自分ができることを予め相手にも自分にも明確に、ある限界線のようなものを引いておくことが、自分の場合の職業的態度である。金八先生みたいに生徒のためにいつも全力で生きる、といえば格好良いかもしれないが、その実、生徒に依存しないと生きていけないような情けない人間だけにはなりたくない。そして周りにもそういう「熱心」な教師はいるもので、そういうのは生徒にも同僚にも、いい迷惑な存在だ。https://plaza.rakuten.co.jp/archeryq/diary/202104250000/

​などということを、読書日記『おもてなしという残酷社会』で書いたのだが、生徒に依存する先生というのは、結構見てきた。女性が多い。一番多いパターンは結婚していて子どものいないタイプである。

「母子相互依存」というのは、母子家庭か、父親がいても仕事などで家庭を顧みない場合に起こりやすい。見た目には仲良しの母娘に見えるが、子どもが親離れをする時に、離れられず、放せない。そうやってズルズルと人生を送ることはできないから、いつか破綻する。

「生徒依存症」の教師の第一の特徴は、生徒を名字ではなく、名前で呼ぶことだ。同僚の教師Xは「先生、みさきがこの前・・・」と話し出す。「え?、ミサキって誰?」「あ、すみません、ええっと、みさきの名字なんだっけ?」。

彼女の意識の中で、生徒はすべて名前で記憶されているらしい。まあ、それでも名前どころか名字も覚えない自分よりはマシなのかというと、そうではない。生徒との距離が近すぎるのだ。

これがおかしいのは、他の職業と比べてみると一目瞭然で、例えば販売員が顧客をファーストネームで呼ぶなどあり得ないし、医師が患者を、もあり得ない。もちろん、保育園や幼稚園の先生が「みさきちゃん」と呼ぶことはある。これは、彼らが「保護者」の代替として存在することが、職業的に要請されているからだ。

幼児にはともかく、児童、生徒にそれをやるのはおかしいのではないか、と自分は思うのだが、違うだろうか。・・・と思わされるくらい、こういう事例は多いのだ。あまりに多いから、そっちがマトモで、おかしいと思う自分がオカシイのではと思ってしまうほどだ。

しかも、生徒は教師を決して名前でなど呼ばないから、この関係は一方で「共依存」であり、他方では「命令ー服従関係」という、奇妙に捻れた関係である。

これと鏡像のように反対の関係は、部活動の「先輩ー後輩」関係である。こちらは、同じ競技をしている仲間を、たった一学年上だという理由だけで「○○先輩」と呼ばなくてはならない。ともに競い合うライバルでもあり、集団競技ならチームワークを発揮するべき間柄に、「命令ー服従関係」を持ち込んでいる。

生徒を名前で呼ぶ教師は、生徒に支配されているが、一方で生徒を完全に支配しようとする。進路など、生徒個人が考えなければならないことに、始終うるさく口を出し(職業的な意味でのカウンセリングではない)、生徒が言うことをきかないと、簡単に見捨てる。彼女にとって依存対象は常に複数いるから、一人くらい見捨ててもどうということはない。

これも、先の例で考えると、そのおかしさにすぐ気づく。医師はたくさんの患者がいるが、自分が依存し、支配できない患者を見捨てるのは、彼の職業倫理に反する。

教師Xに関して言うと、学年が進むにつれて、まともに自我形成ができてきた生徒たちは、この「共依存、支配ー服従」という関係のおかしさに気づき、そこから距離を置こうとする。その時、Xはそれを、「正しい」教師ー生徒関係からの、生徒の方からの一方的逸脱とみなすから、始末が悪い。

もっと始末が悪いのは、こういう教師が教師集団の中で「いい先生」と見なされてしまうことだ。「X先生は、生徒思いで」という評判が立つものだから、Xは自分の職業的在り方を一向に改めようとしない。

そういう教師とは、自分は距離を置く。距離を置きたいから、生徒の名前も忘れたふりをすることもある。ただ、名前も忘れるような教師がなぜ生徒から信頼されているのかが、分からなくて困るらしい。

自分に関して言えば、例えば生徒に「○○(もちろん名字)、オマエね、いい加減に自分で自分の進路をちゃんともう一度考えろ。でないと、志望理由書なんていくら書いても無駄だからな!」などと言うと、「○○先生だから、できる」とか「○○先生しか言えない」などとよく同僚に言われる。が、自分は教師としての正しい職業的態度を一貫しているだけなのにな、と思うのだ。それで、生徒は依存先のXに自分からこう言われたと涙ながらに相談し、Xは心から親身になって相談に乗り、「よし、それじゃ先生も手伝うから、志望理由書、書いてもう一度みてもらおう!」などと励ましたりするのだ。バカみたい。​





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最終更新日  2021.12.19 04:20:24
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