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帰る前に父とどこか行けるのも、今日が最後になった。
どこがいいか聞いても、特にどこというのは無く、まかせると言われてもどうしようと考えてしまう。 行きたいと思いながら、電車1本で行けるにもかかわらず行ってなかったし、仮に父がツアーで関東に来る事があってもコースに入らないだろうと云う事で、川越に行く事にした。 本当は早く行きたかったが、父が夜遅くまで弟のところにいたため寝るのが遅くなり、今日出かけるのが遅くなり1時半を回った頃に着いた。 駅前から、小江戸巡回バスに乗り中院へ行った。 中院は、かつて星野山無量寿寺仏地院と称し、天長7年(830)に、慈覚大師によって創立。寛永10年(1633)に東照宮建造の折現在地に移されたそうだ。 門を入ると、無量寿園、庚申園と石に刻んである庭園があった。こじんまりとした庭だ。 また、不染亭という島崎藤村が夫人の母に贈った茶室が移築してあった。 狭山茶発祥の地と書かれた石碑もあった。 そんなに広い所ではなかったが、30分近くもいてしまった。 歩いて仙波東照宮へ向かう。ラッキーな事に特別公開されていた。 ![]() 拝殿の中に入る事が出来、拝殿から幣殿の中にある12面の鷹絵額も観られた。 本殿も唐門の前まで行って観られた。 日光東照宮には及ばないものの、(まだ写真、映像でしか観た事が無いが。)中々に立派なものだ。 葵園というのもあったが、酷い有様だった。丁度清掃されている人がいたので、きれいになればいいがと思う。 次に喜多院へ行く。慈眼堂を観る。正保2年(1645)に徳川家光の命によって御影堂が建てられ、慈眼大師の諡号をおくられた天海僧正の木造を厨子に入れて安置したのがこれだ。 下へ降りていくと、急ににぎやかになった。 ちょうど菊祭りをやっていた。 ![]() 家光の菊人形もあった。『犬神家の一族』を観たばかりだったので直ぐ顔に目がいってしまう、勿論人間の首に変えられてはいない。 きれいな菊がずらりと並んでいた。 そして江戸城紅葉山の別殿を移築した、書院式建造物に入る。 ここには、「家光誕生の間」に「春日局の化粧の間」がある。 江戸城を感じる事が出来る貴重な建物だ。 外へ出て、時の鐘とともに川越のシンボルになっている五百羅漢を観る。 天明2年(1782)から約50年かけて完成したと言われている535体の石像がある。 表情だけでなく仕草が面白いものが沢山ある。なんでこんな格好のものを作ろうとしたんだろうと思うのがいっぱいだ。 ![]() 一体一体じっくり観ていても飽きない面白さがあるが、1人ではないし時間もないので、残念だが15分位で出た。 巡回バスの時間が合わないので、歩いて川越城まで向かう。 川越歴史博物館があったが、時間が無いのでパス。 喜多院と並んで今日のメインと思っていた、川越城本丸御殿を観る。 周辺施設とセットになった割引チケットもあったが、閉館まで30分しかないので、本丸御殿だけにする。 現存する本丸御殿は、ここと高知城の2つだけという貴重なものだ。 城郭御殿は、他に二の丸御殿が二条城と掛川城のこれまた2つのみ現存。 今年1月に掛川城を観たので、今年は2つも城郭御殿を観る事が出来た。 国宝に指定されている二条城の二の丸御殿にはかなわないが、立派な建物だった。 高知城を観れば現存城郭御殿は制覇だ。 ![]() 父にはバス停付近で休んでてもらい、急ぎ富士見櫓跡を観て来る。 巡回バスに乗って、菓子屋横丁へ行ったがもう殆どの店が閉まっていた。 なんとか紫いものソフトクリームを買うが、暗くひっそりとしてきて残念だった。 バスの中から観た、時の鐘を観ようと歩いていたが、バスで曲がったところまで来てしまったので行き過ぎた事に気付き、戻る。 人に聞いてたどり着いたが、闇に紛れて側に行かないと分からない感じだった。 何か食べて帰ろうかとしたが、特にこれといったものが無かったので帰って食べる事にした。 観られなかった所もいろいろあったが、満足のいく小旅行となった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年11月30日 16時33分34秒
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