|
カテゴリ:マドレボニータのこと
吉岡マコさんの日記を読ませていただき、
前の日記にダンサーのちづきさんから、コメントをいただき ちょっと整理したくなりました。 もうすぐ生理も始まるし(って関係ないって!) 私がなんで産後のセルフケアを学んでいるかっていうと、 自分のやりたいことのために「必要だとおもうから」なわけで、 私が最終的にやりたいこと、 「母たちの手で子どもに媚びない芝居を創作する」なのですが、実は。 そのためには、 産後のリハビリやセルフケアは 避けては通れないと感じているからであります。 ------- 現在、子育て中の母たちで sharelys(シェアリーズ)という紙芝居のユニットを組んでいて 地域のイベントや保育園の父母会にお呼ばれしたりしている。 紙芝居は既成のもので、オリジナルではないが、 私なりに〔なんちゃって演出プラン〕を考え、 一人ひとりに〔なんちゃって演技指導〕をする。 みんなにそれぞれ宿題なんかだしちゃったり、 なかなかえらそうなことをしているのですが、 その結果みんなお芝居は上達している。 しかし、お芝居というのは生もの。 残念なくらい腐りやすい。 その日の体調や精神状態で カンタンに良くも悪くもなる。 今日の稽古ではすんなり表現できたことも、 次の稽古までに旦那とケンカしたり、 自分や子どもが体調を崩したり、 ささいなことでも心に引っ掛かりがあったりすると、 今日できたことが明日にはできない。 できた、できなかった、というのは 周りが見るより本人が一番感じることで、 「家であんまり稽古ができなかったのゴメン」 と本番後で言い訳されても(キツイなこの表現) もうあとの祭りなわけで。 プロの役者ならそんなお粗末なことはないけど、 いかんせん私たちはただの母親なので、 ほんのちょっとの出来事でカンタンに芝居はブレる。 お金をもらってないから、ボランティアだから そこまで完成度を目指さなくてもいいのでは?と 思う人もいるかもしれないけど、 逆に、お金をもらってないから、 ナメられちゃいかん!と思う。 母たちで紙芝居ってこんなもんか、って思われたくはないし、 自己満足で終わってしまう芝居ほど見苦しいものはないしね。 それよりも一番恐いのは、 「できなかった」「成し得なかった」という感情が生まれた時、 母たちの自己肯定感を損なう恐れがあることだ。 ------ 芝居をしている人の中には 表現することで、精神状態のバランスを保っている人もいる。 感じているストレスを一時的に忘れるために、逃げるために 芝居という架空の世界を必要としている人もいる。 (役者のほとんどがこのタイプでは?と思う今日このぎょろ) これがまたやっかい。 表現の場が「母たちの逃げ場」になってはいけない。 芝居をしている間は、日常生活のことを一旦は忘れるが、 家にかえれば、母たちの仕事は山盛り待っているし、 子供達は腹をすかせて待っている。 そこでサクッと母の顔に切り替えるためには、 そこそこ自立した精神をもっていなければならないと思う。 ------ いま読み直してみると sharelysはえらくストイックな集団みえますが、 やってることはホント絵本の世界を本気で読む!という バカ丸出し!!って感じなので、 よかったら観に着てね! 10月16日(日)野方まつりで紙芝居やりやす。 宣伝おわり。 ------ また長くなってしまった。。。 つまり、ブレない芝居をするには 現実の問題を「逃げる」ではなく、 ちゃんと「見つめて捉えなおす」ことが できないといけない。 そのためには体力と精神力だなと感じ、 マドレボニータの概念に 大変共感がもてるのであります。 これをマコさんの日記による 内発的な動機になるのかは、 実際怪しいところだと思う。 必要だと思うからというのは 見方によれば、外発的動機ともとれる。 提出した集中講座のレポートにも書いたけど、私は ヘルス&ビューティートレーナーという職業を目指したい というわけでもなくって 今必要だから学んでいるっていう感じ。 そこらへんが甘い!と言われれば おっしゃる通りで…って感じなんだけど、 自分の欲求のまま進んでいくうちに、 気づけば伝える立場になっていた っていうのが一番私は落ち着く気がする。 それに勉強していくうちに 違う目標が出てくるかもしれない。 これじゃないな、と思えることがあるかもしれない。 それはそれで全然いいと思う。 うっかり、お芝居の仕事がきたりして。なんてな☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[マドレボニータのこと] カテゴリの最新記事
|
|