カテゴリ:Nostalgia Sketch
凛と立つ 冬の木立に 励まされ
北海道の高校は3年の3学期が10日ほどしかない。 冬休みが18日頃に終わるうえ2月からは自宅学習にはいるからだが、この短い3学期をどうするか、先生方は頭を悩ませていたのではないだろうか。学年末試験もないので、授業を進めようがないのだ。 自分が教壇に立つようになって思うのだが、授業を自習にするというのは何となく気が進まない。授業を放棄しているような気がしてくるのだ。これはビデオなどを見せているときも同じで、50分間生徒の前でしゃべり倒していないと授業をした気にならないのは、僕が未熟であることの証だろう(しゃべり倒すことが生徒にとって1番いいこととは限らないのだから)。 (余談だが、休みが18日まであるせいで、成人の日が祝日という感覚がなかった。北海道の学生に とって、成人の日は冬休みの中の1日でしかないのだ。 大学に進学して京都に出てきた最初の年、成人の日に大学に向かったら正門が閉められていて びっくりしたことを憶えている) もっとも、生徒であった当時の僕は、大学入試が目前に控えていたので自習のほうがありがたかった。既に進学が決まったクラスメイトたちの控えめなおしゃべりが聞こえる中、必死に数学の問題をといていた。 そんな1日中自習が続く中で、現国の先生だけは授業を行った。 俳句や短歌を作るというものだった。 まず正岡子規、石川啄木、与謝野晶子、俵万智などの作品を取り上げて、思ったことをそのまま言葉にすることの大切さを解説し、最後の2回は各自が作ってきた作品をプリントにまとめて発表しあう。 僕も受験勉強から逃避できる格好の理由を得て、20くらいの短歌や俳句を作ったと思う。 そんな自分やクラスメートが作った作品の中で憶えているのは2つだけ。 1つは友人が作った「冬が来て 出てきた出てきた 山親爺」という句。山親爺とは千秋庵の菓子の名前で、当時テレビで流れていたCMで「出てきた出てきた山親爺」というフレーズがなぜかクラスで流行っていた。 そしてもう一つが僕の作った冒頭の句。 確か、勉強中の真夜中に思いついた言葉をそのまま俳句にしたものだ。 この句を思い出すたびに、頭に浮かぶ風景がある。 夜中、磨りガラスの窓を開けると、霜が張り付いて凍てついた窓が現れる。 その窓から見える風景。 厚く雪が降り積もった家々の屋根、庭、道路の両脇に雪跳ねで山のように高くなった雪の壁。街路灯にオレンジに染められた雪の道。 新興住宅地だから木立も見えない。 でも、思い浮かぶのは、まるで全てを見透かされそうなほど静かな、あの風景。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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