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中国茶・台湾茶と旅行 あるきちのお茶・旅行日記(旧館)

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2008.04.24
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カテゴリ:お茶
さて、次は台湾の歴史と茶業史です。

中国茶と台湾茶の違いを説明する上で、台湾の歴史は避けて通れません。
台湾史は日本で紹介されることも少ないので、少し細かく書きます。
知っておくと、台湾旅行がいっそう充実するかもしれません。

<16世紀まで>
台湾は大陸中国のすぐ隣にありますので、漢民族が昔から住んでいた印象があるかもしれませんが、実態はそうでもなかったようです。
福建省の反対側に島があることは昔から認知されていたようですが、何しろ台湾は亜熱帯~熱帯に属し、四方を海に囲まれている湿気の多い土地柄。そのため、風土病やマラリアの巣窟となっていました。どくろ

この島に住んでいた人々は、フィリピン方面から海を渡ってきた、マレー・ポリネシア系の人々。
のちに高山地域に住む人々は高砂族、平地に住む人々は平埔族と呼ばれるようになります。彼らの子孫は、今もタイヤル族、アミ族、ブヌン族などとして残っています。
彼らはとにかく勇猛果敢。日本が統治する時代になってもなお、首狩りの風習のある部族が残っていたほどですびっくり

風土病と勇敢な原住民の存在もあって、漢民族による開拓がなかなか進まなかったのですね。


<オランダ統治時代>
そんな台湾が歴史の舞台に登場するのは、16世紀半ば。
大航海時代を迎えていたヨーロッパ列強は、中国の沖合にある、この島に関心を示します。
この時期に台湾に上陸したポルトガル船船の船乗りたちが、緑に包まれた美しい島であることを讃えて、「イラ・フォルモサ!(ああ、麗しの島よ)」と言ったことが、台湾の別名「フォルモサ(福爾摩沙)」の由来であると言われています。

そんな美しい島に、オランダとスペインが進出します。
オランダは南部の台南にゼーランディア城(今の安平古堡)を築き拠点とし、スペインは北部の淡水にセント・ドミニカ城(今の紅毛城)を築いて拠点とします。しかし、まもなくスペインはオランダとの争いに破れ、撤退。

台湾は、オランダ・東インド会社による統治下に置かれることになります。
しかし、原住民の反抗と風土病に手を焼き、勢力下におけたのは沿岸部の一部のみだったようです。
オランダは、ほかのアジア諸国でそうしたのと同じように、サトウキビなどのプランテーション経営を開始。その際に、お茶の生産にも乗り出しました。

というのも、当時のヨーロッパでお茶というのは、

最高にクールな飲み物きらきら

であったわけです。
東の果ての見知らぬ文明国・中国で採れる貴重な飲み物。それがお茶でした。
お茶は高く売れる・儲かる商材だったわけです。

オランダとしては、中国と非常に近い台湾であれば栽培も上手くいき、大儲けできる。そういう目論見があったのだと思います。
しかし、栽培ノウハウなどが十分でなかったため、なかなか上手く行かず。
オランダ統治下での茶の生産はそれほど成功しなかったようです。


<鄭氏政権時代>
このオランダを追い払って、台湾に漢民族の統治をもたらしたのは、鄭成功でした。
彼は、福建省を根拠に密貿易を行っていた鄭芝竜を父に持ち、日本人を母に持つハーフです。長崎の平戸の生まれです。
その日本人にも親しみの持てる生い立ちから、彼は近松門左衛門の浄瑠璃『国性爺合戦』のモデルにもなっています。

当時の中国は、明が李自成により滅ぼされ、その機に乗じて満州民族の国・清が勢力を拡大。
各地に逃れた明の王族たちは各地に亡命政権を作り、清の支配に抵抗していました。
その中の一派を、軍事力のある(平たく言えば海賊)鄭氏が押し立てて、明の復興を目指し、清と戦っていたのです。

当初は快進撃をしていた鄭成功でしたが南京で破れ、彼は再起をかけるために台湾へ渡ります船
ゼーランディア城を攻めてオランダ人を追い払い、ここを根拠地として明の復活を誓います。
しかし、これからというところで急死。下向き矢印
大黒柱を失った鄭氏政権は清軍に攻められ、滅亡してしまいます。わずか23年の統治でした。


<清朝統治時代>
鄭氏政権が滅び、清朝の版図に組み込まれた台湾ですが、当時の清朝は統治には積極的ではありませんでした。
なにしろ、風土病はあるわ、先住民の反乱はあるわで、恐ろしい土地だったわけです(^^;)
「化外の地」という表現をされ、皇帝の統治も及ばないような(その価値もない)土地と見なされていたようです。

しかし、民間レベルでは、福建省や広東省から漢民族の移民が相次ぎました。
特に福建省は山がちで耕地も少ないため、人々が新天地を求めて、船で台湾に渡ってきたのです。
清朝は、自国民が台湾に定住されることを恐れ女性の渡航を禁じていましたので、移住者の多くは男性の単身者。そのため、現地で平埔族の女性と結婚するケースも多かったようです。(これを根拠に、台湾の民族は漢民族とは違う!と主張する方もいます)

こうして移住してきた人の中には、茶作りの心得がある人もあり、彼らの持ってきた茶の苗木が、台湾で植えられるようになります。
作られたお茶は福建省へ運ばれ、主にジャスミン茶(包種茶)の原料として使われたようです。当時は、直接販売できるほどの販路やブランドイメージがなかったわけです。
台湾の茶業は、福建省の下請けとして始まったのです。

このように、台湾茶のルーツは福建省にあると言えます。鉄観音、水仙、佛手、梅占など、福建省にある品種が台湾でも多く栽培されています。
#今では、福建と台湾で製茶法が違うことと土地の味が違うので、個性が大分異なって見えます。


19世紀半ばになると、列強の中国進出が始まります。そうなると国防の観点から、台湾の戦略的重要性が増してきました。
そこで清朝は、基隆・台北間に鉄道を建設するなどして、統治の積極化に乗り出します。
しかし、時すでに遅し。1894年の日清戦争に敗れると、台湾は日本に割譲されてしまいます。

このときから、台湾は中国大陸と切り離され、文化そして茶の発展も独自の道を歩むようになります。


<日本統治時代>
台湾は日本にとって、初めての植民地でした。
当時の台湾は、社会インフラが整備されていない状態でした。
そこで、日本の国家予算の4分の1!に匹敵する金額が、台湾一島の開発のために予算として組まれます。
明治維新を成し遂げたばかりの極東の貧乏国家だった日本にとって、台湾領有はかなりの財政的な重荷だったようですしょんぼり

そんな台湾統治でしたが、日本は、まず上下水道・病院病院など衛生環境を徹底的に整備しました。
これによって、衛生状態は劇的に改善し、風土病やマラリアなどの問題が無くなっていきます。
そして、治安維持のための警察組織や道路・鉄道・灌漑事業など産業に必要なインフラを着々と整えていきます。
このようなプロジェクトに当たっては、日本でもエース級の研究者・政治家たちが続々と台湾に入って活躍していました。

お金のかかる教育にも力を入れました。
部族ごとに言葉が異なり、文字も読めない人がほとんどでしたが、徹底的に日本語教育を施します。
皮肉なことに、日本が統治して日本語を徹底教育したことにより、互いの部族の共通言語ができ、コミュニケーションが可能になったのです。こうして初めて、彼らは台湾という1つの島に住んでいる仲間であることを実感できるようになったのでした。

(ご参考までに)あいのり 台湾編VTR
一部、テレビ局の変な解釈が入っていますが、おばあさんの言っていることは正しいです。


もちろん、日本の統治はプラス面ばかりではありません。そもそも、良い植民地支配などありえません。
日本の統治が安定化するには四半世紀を要したのですが、その過程では日本の統治に反対する抵抗運動がありました。
これについて日本の台湾総督府は徹底的弾圧の姿勢をとります。これによって、多くの人命が失われています。


産業育成策の中で、輸出用作物として茶、特に紅茶の振興も考えられました。
日本は、1903年、桃園に茶製造試験場を設置します。現在の茶業改良場の前身です。
この茶業試験場を中心に、科学的なお茶の品種の選抜・品種改良や生育方法の研究、生産機械や生産技法の研究、そして茶農家への技術伝達が行われるようになります。日本人だけではなく台湾人もここで働き、茶の研究を始めます。
その研究データが、いかに細かいものであったかは、台北の和昌茶荘の先代オーナーが、実際に使われていたびっしり書き込まれたノートを見せながら詳しく説明していたそうです(私は残念ながらお話を聞けずじまいでした)。

さて、肝心の紅茶の輸出に関しては、当初は烏龍茶用の品種で作っていたことから、品質が今ひとつだったようです。
コスト的にも機械化の進んだインド、スリランカにかないませんでしたが、アッサム種を導入するなど改善を試みます。

商業的なプロモーションもどんどんかけ、台湾茶の売り込みを図ります。
欧米諸国が好みそうな、オリエンタルなムードのあるポスターを作り、東方美人や紅茶などの宣伝をしていました。

日本時代のポスター

烏龍茶用の品種も優良品種を選定。
凍頂烏龍茶や高山茶の主力品種になっている青心烏龍種などは、この頃から、既に選抜されていました。
現在の台湾茶につながる基礎研究が、この時代から行われていたのです。


日本統治下の産業育成策は実を結び、台湾はどんどん発展していきます。
それにつれて、台湾茶の輸出もどんどん伸びていきました。

が、日本を取り巻く国際環境の悪化、そして太平洋戦争が始まると様相は一変。
戦況の悪化などから農業は食糧生産重視となり、茶の生産は停滞します。

そして、日本は敗戦。台湾の領有権を放棄します。
約50年の日本統治時代がここで終わったのでした。

その後を受けて、中華民国の国民党軍が台湾へ乗り込んできます。
日本が築いてきた社会インフラや企業は、そのまま国民党に接収されました。


<中華民国時代初期>
日本の敗戦で、中華民国に組み込まれた台湾。「光復(祖国への復帰)」と、国民党は喧伝しました。
日本の教育下で知識水準はかなりの域に達していた台湾の知識人層は、「これで自分たちが政治の主役になれる」と期待していました。

しかし、政治の実権は大陸からやってきた人々(外省人)に握られてしまいます。
そして、横暴な振る舞いの兵士や賄賂の横行する役人たちに、台湾の人々(本省人)は失望します。
結局のところ、支配者が日本から中華民国に変わっただけのことだったのです。

この不満が、爆発します。
二・二八事件です。
国民党は武力でこれを徹底的に弾圧。さらに、白色テロと呼ばれる恐怖政治を敷き、台湾人の知識人層を投獄していきます。
この白色テロは約40年間も続き、数万人の知識人が処刑されたと言われています。


長くなったので、続く。

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Last updated  2008.04.24 22:13:29
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