【 東京歩きめぐり 第130回 】 本駒込
2019年03月05日(火)晴一昨日と昨日は冷たい雨だったが、今日は朝から青空。東京歩きめぐりに出動する。今回歩くのは、文京区の本駒込6丁目と豊島区の白山通りより東の巣鴨1丁目。09:15 千石1丁目交差点 、【 東京歩きめぐり 第130回 】を歩き始める。現在の本駒込6丁目には、江戸時代 加賀藩前田家の中屋敷(幕末の切絵図には「加州侯」とある)や大和郡山藩柳沢家の下屋敷(幕末の切絵図には「松平時之助」とある)があった。明治維新後は三菱財閥の岩崎弥太郎の所有地になった。1922年(大正11年)三代総帥 岩崎久弥は六義園周辺の土地を近代的住宅地として分譲。「大和郷(やまとむら)」と名付けた。六義園が大和郡山藩柳沢家の庭園だったことに由来する。本駒込6丁目は高級住宅街として知られ、大和郷の名称は現在も受験難関幼稚園などに見ることができる。「六義園(りくぎえん)」を訪れる。入園料 300円。六義園の名は、中国の詩の分類法(詩の六義)にならった、古今和歌集の序にある和歌の分類の六体に由来する。この回遊式築山泉水の大名庭園は、5代将軍 徳川綱吉から重用された柳沢吉保が 1702年(元禄15年)に築園した。明治時代に入り六義園は岩崎弥太郎の別邸の一部として修復されたのち、1938年(昭和13年)東京市に寄付され、一般に公開となった。園内を時計回りに回遊する。「内庭大門」を入ると、六義園の象徴 シダレザクラの大木がある。あと半月ほど経てば満開になり、人だかりがするのだろう。築園当時から園内88ヶ所の景勝地「六義園八十八境」に石柱が建てられていたが、現在は32ヶ所しか残っていないという。5ヶ所ほどを見つけることができた。「つつじ茶屋」は、岩崎家の時代 園内各所に建てられた亭のうち、唯一現存しているもの。柱と梁にツツジを使っている。2枚の大岩でできた「渡月橋」。園内6ヶ所の橋のうち、石橋はここだけ。あとの5ヶ所は土橋である。標高35mの築山「藤代峠」から、大泉水を一望する。峠の名前は、和歌山にある同名の峠から付けられたという。早咲きのサクラを見られるかもと思ったが、まだ咲いていなかった。ウメは何本か満開だった。園を出て本郷通りを行く。六義園「染井門」は、サクラと紅葉の期間だけ開門される。10:45 駒込橋交差点 、【東京歩きめぐり 第130回 】はここで終わり。 千石1丁目交差点 → 駒込橋交差点 : 5.3 km