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歩きつないで日本一周する計画。20年くらいかかるかも・・・・・ 。
1.東海自然歩道 2001年06月 ~ 2005年10月 2.西国巡礼 2002年03月 ~ 2004年09月 3.四国遍路 2003年02月 ~ 2004年05月 4.首都圏自然歩道 2003年12月 ~ 2006年01月 5.東北一周徒歩旅行 2005年04月 ~ 2008年11月 6.関東外周山つなぎの旅 2005年11月 ~ 2008年12月 7.中国一周徒歩旅行 2007年04月 ~ 2012年10月 8.南関東低山つなぎの旅 2007年09月 ~ 2009年04月 9.支線の旅 2009年06月 ~ 2011年12月 10.北陸縦断徒歩旅行 2009年08月 ~ 2013年05月 11. 北海道一周徒歩旅行 2011年08月 ~ 2016年07月 12.九州一周徒歩旅行 2012年01月 ~ 2015年03月 13.東京歩きめぐり 2013年02月 ~ 2022年09月 14. 周遊の旅(ルート1) 2013年03月 ~ 2016年11月 15.東北周遊徒歩旅行 2015年05月 ~ 2019年09月 16.西日本支線の旅 2016年05月 ~ 17.島歩きの旅 2017年03月 ~ 18.東日本支線の旅 2017年11月 ~ 19.江戸切絵図歩きめぐり 2022年11月 ~ ![]() <当ブログ中の地図の著作権は白い地図工房(http://page.freett.com/rukuruku/)にあり、使用許諾を得て掲載しています。
カテゴリ:江戸切絵図歩きめぐり
2024年07月23日(火)快晴
先週18日の梅雨明け以降、東京では猛暑の日々が続いている。今回歩くのは、文久元年(1861年)板「芝三田二本榎高輪辺絵図」のうち、現在の港区芝1~5丁目に当たる地区。08:05 JR浜松町駅南口 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第54回 】を歩き始める。 ![]() 「西應寺」の門前に「最初のオランダ公使宿館跡」標柱と解説板がある。安政5年(1858年)に締結された日蘭修好通商条約により、翌年この寺にオランダ公使宿館が設置された。切絵図には「西應寺 田中イナリ」とある。西應寺の山号は田中山といい、境内に田中稲荷の真新しい社がある。 ![]() 切絵図の「松平修理大夫」は、薩摩藩島津家(外様)上屋敷。屋敷跡の一画に「薩摩屋敷跡」標石がある。慶応3年(1867年)江戸市中警備を担っていた庄内藩新徴組らが薩摩側に挑発され、この薩摩藩上屋敷に焼き討ちをかけ、これが戊辰戦争の発端になった。 ![]() 「柳神社」を訪れる。江戸時代後期に旧芝松本町の守護神として創祀されたと伝わる。社殿前に控えているのが狛狐なので、社名に稲荷の文字はないが、稲荷神社である。切絵図上で該当する場所に「稲荷」「松本丁一丁目」とあり、この稲荷が柳神社だろうと推測できる。 ![]() 切絵図の「沙濱(すなはま)」には、江戸時代 魚河岸「雑魚場(ざこば)」があり、落語「芝浜」の舞台にもなった。隣接する「御穂(みほ)鹿嶋神社」は、2005年に御穂神社と鹿嶋神社が合祀してできた神社。切絵図には、文明11年(1479年)創建とされる「御穂明神」と寛永年間(1624~44年)創建とされる「鹿島明神」が、別々の場所に記されている。 ![]() 切絵図に「薩州クラヤシキ」とあるのは、薩摩藩島津家蔵屋敷。慶応4年(1868年)この地で西郷隆盛・勝海舟らが会談を行い、江戸城の無血開城が決定された。屋敷跡地の一画に「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 會見之地」碑がある。 ![]() 「水野監物(けんもつ)邸跡」解説板がある場所の周辺は、元禄15年(1702年)に吉良邸討入が起きた当時、三河国岡崎藩水野家(譜代)の屋敷だった。討入に加わった赤穂浪士のうち9人が岡崎藩邸に預けられ、翌年 この藩邸で自刃した。 ![]() 切絵図では岡崎藩邸があったところに「水野和泉守」とあり、これは出羽国山形藩水野家中屋敷。水野忠元を祖とする水野家(忠元流水野家)は、下総国山川藩・駿河国田中藩・三河国吉田藩・三河国岡崎藩(討入時)・肥前国唐津藩・遠江国浜松藩・出羽国山形藩(幕末期)と、領地を転々とした。09:40 三田2丁目交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第54回 】はここで終わり。 浜松町駅南口 → 三田2丁目交差点 : 5.4 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 172.4 km ) ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.07.24 07:36:39
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