無数にある「答」のなかに、1つだけ条件にぴったりなものがあって、「正答」といわれる。
♪だから正答はすこしだけ特異点なのです。
SFの本は昔から好きで、ポツポツと読む。
ものすごく「すげぇ~」とおもって、心に消えない花をさかせるものもあれば、
よんだ直後に、すでに忘れてしまっているようなものもあり、
SFの本は、あたりと、はずれが極端なのだ。
さて、わすれられない問答の一つに、こんなのがある。
とてつもなく賢い人工頭脳(無限連想コンピューターという)と、
ナゾナゾ対決をするハメになった主人公(スミス)が、
こんななぞなぞを出す。
「金魚と光線銃の共通点は?」
コンピューターは、それなりの答えを出すが、
スミスは「違う!」と一蹴。
「正解は<口笛を吹けない>だ」
おいおい、それはないだろう、スミス。
<口笛を吹けない>でなくたって、
<髪を梳かせない>でも、<選挙権がない>でも、<念仏を唱えない>でも、
答えになる可能性はあるはずである。
両方にあてはまること(できること)を考えていたとしたら、
ウラをかかれたことになる。
いや、そうじゃないんだ。
というか、無限連想なんてエラソーな名前をつけられたコンピューターなら、
のりツッコミくらいできるだろう。<モンティパイソンは見ない>とか。
で、のりツッコミがはじまれば、無限連想コンピューターであれば、
5万や10万の答えを用意するだろうし、
さて、複数の答えがあれば、優劣も生まれるだろう・・・。
さて、高校時代のあさ・がお少年は、
「答えがいっぱいある」という妄想が、いたくお気に入りで、
かなりの時間をこの妄想に費やしていた。
答えが1つしかないテスト問題は、
複数の正答を評価する能力がない、採点側の不勉強のせいだとさえ、
思ったりもしていました。
が、表現力のツタナサから、うまく説明ができなかった。
この歳になって、いくらかコンパクトにまとめられるのですが・・・。
「正答」というものは
日本の試験という特殊性のなかでは
<無数にある「答」のなかに、1つだけ条件にぴったりなものがあって、「正答」といわれる。>
なのであるが、
一般性をもたせるとすれば
<無数にある「回答」は、複数の正答と、複数の誤答の総和である>
としないといけないのかもしれない。
・・・・暖気運転しなかったから、
あたま、いたい、いたい、、、、、、