つくるの高校時代の「完璧な5人組」が、実際にベストだったのか、という疑問。
1)目的が「慈善事業のサポート」だと考えると、ピアノも買えたし、成果は残している。
ただ、地元に残った4人が、その後もサポートを続けたという情報はなく、一過性に終わったものかもしれない。
2)より強く世間をわたってゆくための「協力体制」だとすると、数年後に終了している。
ハタから見ている限りでは、本人たちが思うほどに、完璧なチームではなかったのではないかとも、思われます。あまりにも、短命であったので。
シロ以外の3人が、疑念をもちながらも確認しあわなかったのも、消極的にすぎる。きっと、裏の感情があったのでしょう。
「初恋の人」という言葉が特別な意味で語られるように、「初めての連帯感」に特別の思い入れがあっても、不思議はないかと。
押井守カントクの、いつまでも終わらない学園祭を、想起します。
さて、2月に読んだ「ジャングルナイトサーカスナイト」(※1)と「つくる~」には、物語の発端は、共通する「ある状況」ではないかと、思い当りました。
かなり大雑把な発端です。けど、類似性をつよく感じます。
1)「主人公が、説明したり、質問したりする気力を失って、人々との行き来を停止する。」という発端、始点。ページ順ではなく、時系列順で。
相互に理解するということの重要さを分かっている気になっていながら、安易な行動停止に陥った状況。
物語の中盤は、似ているようないないような。
2)「過去の情報不足を補う」という通過点。問えなかった質問に答えを得たり、予想外の事実を受け取ったり。
結末は、別々。
3)さやかは、かつての知人らと再構築に進む結果。
つくるは、別の人間関係へ移る結果。
若い頃には、わりと消極的に決別した友人知人。理由を確認もせず、修復の努力もパスしてしまった人間関係。ある年齢に達すると、摘みとられた可能性の大きさに、気が付くといったところでしょうか。
最近は、あまり聞かないのですが、「定年後は、地元へ戻って、幼馴染と過ごす。」昭和の頃には、こういう方々が多かったような気がします。
ふるさと納税が可能になって、それほど肩身の狭さを感じないようですが、Uターン組を、素直には受け入れられない地元の事情もあったようです。
いろんな局面で、人間関係を再構築(リサイクル)する時代がきているようです。
それにあわせて、技術的にも、精神的にも、個人的にも、社会的にも、試行錯誤が続いているのでは。。。
主人公が人間であれば、小説の主題が人間関係であるのは当たり前。
過去の出来事の解釈とか、現在のことがらの取り扱いとか、そういう例は多々ありました。
だけど、再生・再構築。 ちょっと、まとまりきらないかな。。。
(※1)ほんの6か月前なのに、おぼつかない記憶。 後日、固有名詞などはまとめてチェックしますが、それまでは、読者の想像力に期待するところ、大です。
【色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 [ 村上春樹 ]