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カテゴリ:ときどき 哀愁
ちょっと、おもうところがあって、
ふつうの「さびしい」ではなくって、 30年にいちどあるかないかという、 最大級にして災害級の「さびしさ」を現わすことばを探した。 べつに「秋だから」ではないよ。 7月ごろに思いついて、ずっと、継続している。 「もの哀しい」というような、さらりと受け流すようなものではなく、 何かにしがみついていないと、吹き消されてしまうような、強力なものは、どう言うのだろう。 「寂寞」「寂寥」かな。 「寂聴」だと、、、 ぎゃくに、ぬくもりを感じてしまう。 で、これを考えながら、併行していくつかの本を読んでいたが 「色彩をもたないつくる~」には、何のヒントもみつけらなかった。 「東京奇譚集」にも。 「夜のピクニック」には、ちょっと、引っかかるものがあった。 「星の王子さま」は、ちょっとちがうかな。失ったもののさびしさではなく、初めからないもののさびしさ。 ちょっとした心象風景。 まず、夜の住宅街をあるいている自分。 まわりの家の窓からもれるあかりには、あたたかみを感じるものの、 壁に塞がれていて、中にははいれない。 -----これは、普通のさびしさ。超えられるかもしれないさびしさ。 まぁ、フランダースのネロとか、マッチ売りの少女とか、 幸せな室内はまちがいなく存在しているのに、 自分にはドアがひらかれないさびしさ。 努力目標のある寂しさ。 人家も見えない大地にひとり、 時間をかけて歩き続ければ、町なり村なりに行き着くのか否か。 すでに、自分の見知る人物は残っていないのかもしれない。 -----これを、災害級のさびしさ。としよう。 浦島太郎とか、「スターレッド」のエルグの孤独。 目標を失って、たださまようだけの、絶対的な孤独。 努力のしようがない寂しさ。 で、絶対的な孤独には、無人の荒野のイメージがかさなっていて。。。 孤独と縁が深いようだ。 「寂寞」よりは、 荒野つながりで、「寂寥」をチョイスするのが、無難かな。 あ。 思い浮かんだ2曲。 クワタさんに先回りされていた気分。 たしかに、押し流されてしまいそう。 「TSUNAMI」。 と、 中島みゆきさんの「夜曲」(http://miyuki-lab.jp/disco/lyric/ba117.shtml)と。 報われない努力は、寂しいので、 努力には、多少でも応える努力をしよう。 という結着。 マッチ売りの少女 [ ハンス・クリスチャン・アンデルセン ] 新訳 フランダースの犬 [ ウィーダ ] 浦島太郎 [ かさまつしろう ] スター・レッド [ 萩尾望都 ] 星の王子さま [ アントアーヌ・ド・サン・テグジュペリ ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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