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カテゴリ: 怒りの大河を超えて、政治に笑顔が戻るまで
トランプ氏は、「難民は、巨費を投じても、追い返すだけ」のもの。
プーチン氏は、「難民は、些少な費用で、兵士として有能なものだけを受け入れ」るもの。 悪知恵でまさるのは、歴然。 過去のアメリカの「ニューディール政策」は自己資金で経済を活性化することを目標としていた。すみずみまで、コントロールができそうな気がする。 トランプ君の「ディール外交」は他国の資金をあてにしている。相手がのってこなければ、それまで。 「ニュー」がなくなっているのは、そういうわけだろうか。 「自分の政策は間違っていない。うまくいかないの邪魔者がいるからだ。」なんて泣き言を何度となくトランプは口にした。「邪魔者」の存在に気付かずに、政策を始めたのはだれの落ち度なのか。 「白い猫でも、黒い猫でも、ねずみを捕る猫はよい猫」とは半世紀も前にいわれてたはず。 「ペットを喰う猫」だって、うまいものがあればわざわざペットなんざ喰いやしない。 森にドングリがあれば熊だって町まで下りてこない。 他国の経済の足をひっぱれば、難民がふえるので、壁の建設にお金がかかるけど、そのお金はそっちの国から脅し取ればいい。「ニュー」感はない。三国志よりもまえの時代じゃないか。 ギリシャ・ローマの皇帝さんたちは、市民が退屈しないようにイベントを興行することも重要だったと聞く。政治と宗教とイベントは、三本柱かもしれないけど、分離していたほうが分かりやすいし扱いやすい。 議会は議会。闘技場は闘技場。「議事堂でイベントするぞ」なんて、ごっちゃにするから制御がきかない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年11月13日 12時35分53秒
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