テーマ:新撰組!(305)
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原田左之助がまさちゃんと夫婦になった。
試衛館以来の仲間たちが久々に集まり、これを祝う。 烏合の衆の新選組を法度で締め付けるしかない立場の歳三は微妙。心根を知り尽くしている試衛館以来の同志に関してはそのような法度で縛る必要もないのであって、それだけに彼らに対しては後ろめたい思いでいる。この点に関して最近衝突を繰り返していた永倉とは、とりわけ顔を合わせづらい。そんな歳三を、永倉は「悪いわけがどこにある」と、わだかまりを見せずに迎える。 河合の切腹処分の一件で、歳三が山南の死を重く受け止め、自らの役割を果たそうと憎まれ役に徹していることを永倉は思い知った。鬼には鬼の苦労がある。永倉は「愉快愉快」と試衛館当時の雰囲気を再現することに心を砕き、「今夜は鬼の副長と、俺はゆっくり飲みたいんだ」と歳三に酒を酌む。江戸っ子の潔い心遣いに、歳三も照れくさそうに気を許す。 左之助は終始、上機嫌だ。意中のまさちゃんと一緒になれたことはもちろん、何より試衛館の仲間たちが集まって飲めることが楽しい。まあ、いつも通りの光景なのだが、その変わりなさが皆には頼もしい。 周平が浅野薫に唆されて脱走騒ぎを引き起こした。逃げる浅野を発見したのは斎藤。だが彼は、その哀願するさまを見て斬らずに逃がす。何の感情も見せずに人を斬り続けていた斎藤にも、変化が起こっていた。悪い夢にうなされ、河合の介錯をためらい、脱走を企てた谷三十郎にもいったんは翻意を促す。理不尽な理由で死にゆく者たちを目の当たりにするうちに、人の命を奪うことの重みをひしひしと自分の痛みとして感じ始めていた。仏を彫ることでかろうじて精神の平衡を保つほかなかった。斎藤のことを、粛々と任務を遂行するだけのキャラクタだと捉えていた僕の考えはまさにアサハカなり。 迷い始めた斎藤とは対照的に、総司の生命への嗅覚は研ぎ澄まされていく。かつて人を斬ることに躊躇していたとき、斎藤に「お前はモノを食うのにいちいち何かを考えるのか」とダメ出しされたが、その斎藤に対して今夜の殺気の無さを指摘し、浅野を逃がしたことを看破する。自らの生い先が長くないことを悟った総司は、その生きざまがますます苛烈だ。不逞浪士への斬撃は魔物のように鋭く、弱味を見せるものに容赦はない。周平に対しても。可能性があるのにそれをモノにできない不甲斐なさが歯痒くてならない。もはや自らは天然理心流を継承し試衛館を守っていくことができそうもないだけに、近藤家を継ぐべき周平の自覚の無さに我慢がならない。生き急ぐ総司には、弱者の痛みを汲み取る余裕はない。 総司に責められる周平の姿が、平助にはかつての自分のように映る。劣等感に悩む苦しみは身に染みて味わってきた。しかし平助は、勇なら、その苦しみを包んでくれることも知っている。己の器量の中で存分に生きることが尊いと信じることができる。だからこそ、今では自信を持って「私は剣の道に生きます!」と試衛館の先輩たちに力強く宣言できる。 周平を全身全霊で庇う源さん。試衛館当時から長らく勇に尽くしてきた源さんは、肥大していく組織を寂しく思いつつも、近藤家の跡取りを育て上げることに自分の役割を見い出していた。勇の度量を知るだけに、その後継者の重圧も理解している。養子縁組を解消することで周平の助命を嘆願するが、勇がその意を汲んでくれるであろうとも信じていた。 勇の度量の大きさ。香取慎吾も今回はなかなか頑張ってその威厳を表現してくれた。周平との養子縁組は解消したものの、「周平」の名はを引き続き名乗るよう命ずる。試衛館を率いる近藤家は「周平」でなくてはならない。そして、勇は依然として周平に期待している。平助に対したのと同様に、勇は周平が人の痛みを知る人間だということを知っている。「俺はお前を信じている」。試衛館の頃から変わらず、勇は人を信じ続ける。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 12, 2004 03:23:54 AM
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