『自分に気づく心理学』著 加藤諦三
5章 人を愛し、人から愛される能力
愛すされるというコトは
好かれるコト。
>好かれるということは、
>相手にことされらに
>何もしてあげる必用がない。
>
>神経症気味のひとは、
>これが分からない。
>何かしないと、
>好きになってくれない
>好きになっても
>また、見捨てられると思う。
以前は、そんな自分がいた。
いまでも、あちらこちらで
TVなどのドラマでは、
それを焚きつける番組がある。
きっと、洗脳されていたんだろうな。
「何かしないと、
好きになってくれない」と言う
自縛にとらわれている。
寂しさの隙間に入りんこんでいるだろな!
>好かれているというコトは、
>
>相手は自分に満足していることである。
>相手に満足しているのは、
>心の底から自分と一緒に
>いることに満足しているコト
いまは、そう思うな!
一緒にいて、精神的に安定しているのは
満足しているからだと自分も思う。
満足してない状態は、
失う恐怖や寂しくなる恐怖から
相手を支配し、拘束する。
相手の機嫌に従属する。
なんだと思う。
>好きになって貰おうと
>何か奉仕しようとする人は
>
>小さい頃、自分にとって重要な人(親?)の
>役に立たば、気に居られて
>役に立たなければ、拒絶された
>体験が尾を引いているからだ。
確かにそれは、あるだろな。
きっと、私の中にあいったのだろな!
それから、抜け出せたのは、
やはり、自分の世界がもてるように
なったからかだろうな!。
自分は自分!
人は人!
それぞれ、違っていい。
それが、形成されていっんだと思う。
若い頃20代30代は、
自分の幼稚性が存在していたと思う。
今も、少しは幼稚性が残っているだろうな!
でも、人を支配下にや誰かにしっぽを
振るようなことは、ほぼない!
寂しい恐怖を手放すコトが
できるようになった。
もちろん、少しは恐怖を感じる時はある。
それは、防衛本能からだどおもがね。
自分を俯瞰してみるコトができると
そういう寂しさの分析も見えてくる。
>親密な関係においては、、
>相手が自分と直接関係ない世界で喜ぶんでいても
>気にしないだろが
>共生関係においては
>自分の直接関係のない世界での幸せは、許せない。
これって、嫉妬となんだろな。
やはり、先にのべた神経症気味のひとは中の
支配下(独占)にいる感情なんだろうな!
>共生的関係とは、排他的
確かに支配下(独占)するには、
他者は排除する。
>絶賛しあっている恋人同士が
>一変して激しく憎みあい罵倒しあうというのは
>共生関係であったから
>
>女子高生グループでの
>「あの人と付き合うなら、私たち付きあわない」
>ただの共生関係である。
たしかに、あるある!
そんなコトは、あるな。
相手を支配下に置きたい感情が
あるのだろうな!
私には記憶がない。
でも、女性からは聞こえきたな。
>直接的な表現を求める
>自己満足の思いやりの母親は
>料理にかんしては、
>子どもがおいしそうに食べる料理を
>精魂込るのでなく
>おいしそうに食べることを
>子どもに要求する
これは、母親が「お母さんのコトすきでしょう」て
聞く母親と同じであろう!
好きと言わせるのが欲しい。
自分のコントロール下=支配下に
無意識におきたい感情からだろう。
この母親も子ども時代に
そのような環境に晒されていたかも?
最後に
>神経症的男性が恋人に求めているものは
>母親が子供をあやすように
>自分をあつかてくれること
これは、よくTV番組の「新婚さんいらっしゃい」に
でてくる夫婦の中でよく見かける。
きっと、子どもころの満たされない欲求からの
反映なんだろうな!
私の中にも眠っているかは???
「人を愛した、人から愛される能力」て
自分の世界を持つことなんだろうな!
いま、日本は欲求に満たされこない
抑圧をうけて、それに気づかない人が
ドンドン増大しているようなきがする。
もはや、自分の世界を持つことができづ
恐怖に囚われて引き籠りが
今や中高年を含める100万人
恐怖をどう手放すかだろな!
自分の世界をしっかり持つために!
それには、自己肯定感のようなきがする。