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2024.02.10
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読レポ第1981号

カール・ロジャーズ

~カウセリングの原点~

著:諸富祥彦

発行:㈱KADOKWA

第3章 ロジャーズの生涯(その2)

 ロジャーズは、幼少期からの厳しい家庭環境(キリスト教ファンダメンタルズの厳格なルールと信念システムに縛られたガチガチの環境)で育ちました。
 朝も学校が終わってもロジャーズ家農園のニワトリ世話や卵の販売、牛乳しぼりなどの毎日でした。「勤労の美徳」との信念でのロジャーズ家の家庭環境で育っていた。
 高校生時代にそのような忙しさの中で「夜行性の蛾の飼育」の趣味をもって、没頭していた。近所からも「少年生物学者」と言われるほど評判は広がった。

 この時の「生命の神を驚きをもって見守る」ことが、サイエンティストしてベースになり、後の心理療法研究の基本的な構えにつながって見えたのである。

 その後、ロジャーズはウィスコンシン大学農学部に進んで、ハムブレイン教授との出会いから、学生に「何をするか自分たちで決めさせる」指導から刺激をうけた体験から、ロジャーズは、「僕はもっと神の近くで生きた。神と対話に多くの時間と労苦を捧げたいんだ」と日記に書き残していた。

 その後、1922年にロジャースは、中国・北京で開かれる世界学生キリスト教会議に全米代表の一人として中国への半年以上の船旅に参加した。その旅の中で全米から来た優秀な学生や学者との「キリスト者であるとはどういうことか」などなど深夜まで語りあった。その交流でロジャーズは「宗教的にも政治的にも急速に自由になった」。その刺激でロジャーズは「僕はただ『ほんとうのこと』を知りたい。その結果、たとえキリスト教徒でなくなってもかまわないから」と日記に残している。

 ロジャーズは「この時から、僕の人生の目標、価値、目的は自分自身のものになったのだ」とも言っていたようです。

と著者は述べています(私の捉え方の要約と割愛)。


 ロジャーズは、少年時代には、厳しく親に拘束された家庭環境でありながら、少ない自分の時間の中で、自分の「好奇心」の衝動に出合い、その後のサイエンティスト(科学者)的な思考のベースになり、心理療法研究にいそしんだ背景になりました。
 この時の好奇心の衝動がその後の大学での中国への半年あまりの船旅で、他者の刺激も加わり、自分が家庭環境からつくられた考えを、自分と対話しながら自己変容しようと促していったと思います。

 ここで、「自分らしくいきる」のプロローグが始まっていきています。その重要なのは、私は”好奇心”だと思います。自分の中から自ら湧き上がってきた好奇心が芽生えて、その好奇心を追い求める過程で感動に出合い、ますます、好奇心の衝動にかられていたのではないかと思います。
 好奇心が人の自己変容を起こすベースになるのだと私は思います。好奇心の芽を摘まないことが、自己変容を促すのだと思います。





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Last updated  2024.02.10 19:16:17
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