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「毎日更新」読レポ第2121 カール・ロジャーズ ~カウセリングの原点~ 著:諸富祥彦 第9章 ロジャーズの教育論 「教えることと、学ぶことについての私見」―「学習者中心の教育法」誕生の日(3/4) 筆者も一時的、キルケゴールに夢中し、『死に至る病』冒頭の自己生成論や、『哲学的断片への結びとしての非学問的な後書き』などに惹かれて、キルケゴールを原著で読むためにデンマーク語を学んだこともあるので、ロジャーズのこの言葉はうれしかった。ロジャーズは、キルケゴールを読んで、「せっかくやるんだったら、ほんとうに思っていること、感じていることを話してみるか」、そんな気持ちになったのである。そんな気持ちになって「教えること」や「学ぶこと」について、自分の思うままを短い文章にしてみて、優秀な教師や教育関係者が集まる研究会でそれを披露した。こうした前置きした。「私の教室での体験や個人心理療法やグループセラピィにおける体験から明らかになったことを、3,4分で話してみたい。これは決した誰かに対して結論を示そうとするものではないし、こうするべきとか、こうあるべきといったことを言おうとしているのでもない。1952年4月の時点で私の体験が持っている自分にとってのきわめて仮説的意味と、それが持つ突飛さが引き起こす厄介な問題のいくつかをお話ししたい」(Rogers,1957b)。こう断った上でロジャーズは、3、4分、短いスピーチをおこなった。こんな内容だった。 「私の体験から言えるのは、どのように教えたらいいかを他の人に教えることはできない、ということである」 「教えることができるのは、いずれかと言えば、どれも取るに足らないことであって、行動にはほとんど、あるいはまったく、意味がないように思える」 「自分は、行動に意味がある影響を与える学習にしか関心がないことに気づいた」 「行動に意味のある影響を与える学習とは、自己発見的、自己獲得的な学習だけである」 「自己発見的学種という、体験の中で個人的に獲得され吸収されるる真実を、他の人に直接教えることはできない」 「教えることによって生じる効果は、取るにたりないか有害であるかのいずれだ、と感じるようになった」 「私は、自分が重要なことや自分の行動に意味のある影響を与えることを学びつつある一人の学習者たらとすることだけ関心を持っていることがわかった」 「自分自身の不確かさを知り、自分の混乱を明確にしようとして、ぴったりな言葉を探していく。そうすることで、自分の体験が持っている真の意味に近づこうとする。こてが、重要なこ意味のある学びである」 「自分の現在の体験の意味を理解しようとすると、進むべき方向に向かっておぼろけにつかんでいる目標に向かって、その体験は私を導てくれる」 このように述べた上で、次のような具体性のあることも話している。 「この体験が意味するのは、教えることはしない方がいい、ということである。人は学びたいという気持ちがあれば、おのずと集まり、学び合うものである」 「試験はやらないほうがいい。試験は重要ではない学習の効果しか測ることができない」 「同じ理由で、成績評価や通知表もやめたほうがいい」 「同様に、卒業証明や学位も廃止したほうがいい」 と著者は述べています。 ロジャーズは、前置きしながら、教育において個々の経験や内面的な探求が重要であり、他者へ直接的な教えや結論よりも、自己獲得的な学びや体験の共有がより意義深いと提唱しています。 私も、学びには自己獲得的な学びや体験の共有がより意義深いと思います。自らの学びたいという気持ちでの体験での自己獲得や他者とそれぞれの体験を共有しての対話により、新たな気づきが湧いてきます。ロジャーズが言っているように、自らの学びたいという気持ちが大事です。一方的に関心がないのに教えるのは、意味が無いと思います。 もちろん、基礎学力が必要ですので、私は基礎学力は、楽しくなるように教えることが必要だとおもう。それは、基礎学力が無いために学びたいと思っていることで、例えば、英語力が無いために学びたくても、学べないからです。だから、基礎学力は、楽しくなるように教えることが必要があるとおもいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.07.01 10:58:33
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