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遊心六中記

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2017.03.03
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カテゴリ:探訪 [再録]
  膳所城北総門跡碑      [探訪時期:2012年12月]
義仲寺を出てから、近世東海道に沿って歩きました。冒頭の画像のあたりが、膳所城下への北側の入口になるところです。    

石碑のある側から道路を見ると、
  
総門碑のところから道が鍵形になります。

こんな感じで大きく曲げられています。戦時における防御のための一工夫ですね。
電柱の住所表示は「西の正5」となっています。
このあたりの地図(Mapion)をご覧いただくと、位置関係がおわかりいただけるでしょう。
               (末尾の探訪経路図では番号①と②の中間あたりです。)

 
        

              
       まず訪れたのが石坐(いわい)神社  (地図番号②のところ)
開創時期は不明ですが、この地域を開発した治田連(はるたのむらじ)の先祖・彦坐王(ひこいますおう)と天智天皇、大友皇子、その母伊賀采女宅子媛命(いがのうねめやかこのいらつめのみこと)が祀られているとか。この四柱の神像が非公開ですが現存し重文に指定されているといいます。
本殿は鎌倉時代頃の建物です。(資料1)
     




相模川に架けられたこの簡易な橋を渡って進む細い道が、なんと東海道なのです。


                      響忍寺(真宗大谷派)の表門
「長屋門」と呼ばれる形式の門です。(末尾の地図番号③のところ)
このような長屋門が以前は6ヵ所あり「膳所の六門」と呼ばれていて、その中でも最大の大きさだとか。門は、木造平屋建、切妻、桟瓦葺、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張縦押縁押えという形です。
この地は元膳所藩家老村松八郎衛門の屋敷のあったところだそうで、響忍寺が享保18年(1733)にここに移されたといいます。本尊は阿弥陀如来。(資料1,2)

響忍寺境内には、「明治29年洪水碑」が立てられています。瀬田川沿いにある「西光寺」門前の石碑は
「瀬田川流域とオランダ堰堤(上桐生)」のご紹介記事の中で既に触れています。

 和田神社 (末尾の地図番号④のところ)
 本殿
祭神はタカオカミ神で、創建は白鳳年間とされている神社です。現在の本殿は鎌倉時代頃の建物(重文)。
      


また、「和田神社の表門は、膳所藩校遵義堂(じゅんぎどう)の門を移築したものです。」(資料1)
この画像は、神社の境内側から撮った表門です。


境内にこの銀杏の巨木があります。
関ヶ原の戦いで敗れた石田三成が京都へ護送される途中、この地でこの銀杏の木に縛られたという伝承があるようです。銀杏の葉が地面を覆っていました。黄色いカーペットが敷かれたかのように。

 
すぐ近くに、梅香山縁心寺(浄土宗)というお寺があります。
旧膳所藩主本多家の菩提寺です。本多家が三河国西尾からこの膳所に転封になった際、縁心寺をこちらに移したのが始まりだとか。寺名は、本多康俊の実父酒井忠次の戒名に由来するようです。境内には、歴代藩主の墓が建ち並んでいるそうです。(資料1) ここも、今回は寺の前を通過しただけです。

ちょっと山門まで近づいてみると、やはり軒瓦は本多家の家紋「立葵」です。

この後、「膳所城跡」に立ち寄りました。現在は「膳所城跡公園」になっています。

               膳所城本丸への入口 (地図番号⑤のところ)
    
この石橋の傍に「かつての膳所城とその周辺」の写真入り説明板がありました。
全体配置図の部分を取り出してみました。

 門を入ったところにある「膳所城址」碑

          
    
本丸から二ノ丸へのつなぎ部分。本丸側から眺めると。


本丸の天守閣は湖に面したこの石標あたりにあったようです。


この石標の近くに小さな社が祀ってあります。

安土桃山時代には現在の浜大津の湖畔に大津城という水城がありました。
しかし、関ヶ原の戦い(慶長5年(1600))の折り、大津城は激戦となります。この時、大津城に籠城して西軍を釘付けにしたのが京極高次です。

関ヶ原の後、大津城は廃城となり、この膳所に江戸幕府が諸国大名に号令して城を築いたのです。膳所城が徳川家康の号令による天下普請の第一号です。

戦後、京極高次は若狭小浜城8万5000石の加増転封となり、膳所城には戸田一西(かずあき)が初代城主として入ります。何度か藩主が変わった後に、本多俊次が転封されて藩主となり、本多家が代々この地を統治することになります。
膳所城の別名は「石鹿(せきろく)城」です。

なぜ膳所城が「石鹿城」と呼ばれたのか? 由来説明を発見! 引用します。
「中大手門をはじめ、六万石の格を越える立派な構えでしたので、これを幕府に訴える者があり、城を検分されることになりました。巡検使が来ると、鹿の死体があり道が血で汚れているとして別の道から城を案内し、無事に検分を終わらせることができました。しかし、この時の鹿の死体とは実は犬の血を塗った石であったことから膳所城にこの名がついたと言われています。」(資料3)

膳所城の初代城主は戸田一西で、このとき近江国滋賀郡・栗太郡に3万石を与えられたそうです。それ以来歴代の藩主は3万石だったようですが、大久保忠隣の次男として生まれ石川家に養子に入った、石川忠総が膳所城主となった折に7万石の領主となったと言います。その後、本多俊次が膳所藩主となった時も石高は7万石だと言います。逆に考えると、膳所城が石高3万石の城主の頃に、石鹿城という別名ができたということでになりそうです。(資料4,5)

余談ですが、「戸田一西の業績としては、以前の領地武蔵国鯨井田から紅蜆(しじみ)を瀬田川に移植したことが知られている」(資料3)とか。調べていて得た副次的情報です。ご紹介しておきます。
       
国立国会図書館デジタル化資料として公開されている膳所城の絵図を引用します。(資料6)

     膳所城と周辺の絵図

                              膳所城図


 本丸にて

 (資料1)

最後に、膳所城がどんな形のお城だったのか?
何か情報はないか・・・・膳所城跡公園のすぐ近くにある「大津市科学館」の1階ロビーに膳所城の復元模型が展示されているというのを、この再録にあたり調べていて知りました。現地未訪ですので、補遺にソースを加えました。

この後、膳所城下跡の探訪がつづきます。

参照資料
1) 探訪案内チラシ 及び 当日頂いた資料
  埋蔵文化財活用ブックレット13『瀬田橋をめぐる攻防 -膳所から瀬田へ-』
     製作・刊行 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課  平成24年10月15日刊行
2) 膳所城(響忍寺・村松家・長屋門)  :「武家屋敷・家老屋敷」
3) 膳所城(本丸町)の別名「石鹿城」名前の由来  :「大津のかんきょう玉手箱」
4) 膳所(ぜぜ)藩  :「元老院議員私設資料展示館」
5) 膳所城  :ウィキペディア
6) 国立国会図書館デジタル化資料 
 [日本古城絵図]東山道之部(1) 江戸中期-末期の出版
     116江州膳所城図    117膳所城絵図 

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
膳所城跡公園  :「滋賀・びわ湖 観光情報」
大津城 :ウィキペディア
膳所藩 :「江戸三百藩HTML便覧」
  藩とは何か
戸田一西 :ウィキペディア
本田俊次 :ウィキペディア
酒井忠次 :ウィキペディア
膳所城の復元模型について:
   膳所城 :「00怪人の新・炎の大捜査線」
   膳所城の移築門がある膳所神社とセットにしたい本多神社 
         :「観光旅行で巡る滋賀県の城」
   大津市科学館 ホームページ   ⇒膳所城の復元模型には言及なし

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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Last updated  2017.03.06 15:11:00
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