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カテゴリ:歩く [再録]
[探訪時期:2015年4月]
浄瑠璃寺前のバス停付近で、全員集合の確認ができると、後は府道沿いにJR加茂駅への最後のウォーキングです。 歩き始めた道路の北東角に広い敷地があり、道路寄りの一隅で目に止まったのが冒頭の七重石塔です。お寺の表示は見かけませんでした。比較的建てられてからそんなに長い歳月を経ていない感じ・・・・です。十三重石塔はよく見かけますが、七重石塔は久しぶりに見ました。 「当尾の石仏Map」から関連部分の地図を切り出し、引用します(資料1)。加茂町西小の西小バス停から少し先の赤田川あたりが境となり、ここに至ると石仏巡りも終了です。 最初に見かけたのが、右側に欠損のある石龕石仏です。上部の縁の曲線の流れからすると三体の感じがします。説明表示はなかったように思います。事後に確認すると、これが「浄瑠璃寺三体磨崖仏」と称されるものでした。 「元は磨崖仏だったものを、府道拡張工事に伴い移動されたもので、その際一部が破損してしまいました。右側には錫杖を持った地蔵菩薩坐像が彫られています。」(資料1) 先に進むと、道沿いの左側、小高くなった場所に屋根石がのった磨崖仏が見えて来ます。 「ながおのあみだ」 阿弥陀如来坐像です。願主は僧行乗で1307年の造立とわかる銘文が刻まれているようです。行乗もまた小田原聖の一人だったのでしょうか。 蓮弁の台座の上に、定印を結ぶ阿弥陀如来坐像が割合厚みのある姿で浮き彫りにされています。衣の襞が太めでゆったりとした曲線をもって彫り込まれています。 「後方の山から巨岩が続き、前面もコンクリートで固めているので、これ以上割れる心配はないそうです」という説明がありますので、ここにあった大岩に磨崖仏として彫られたものと理解できます。 こんな案内板が建てられています。 やはり、この道路沿いでも箱型の地蔵菩薩石仏が主流です。 西小墓地 ここの石仏群はちょっと壮観です。なぜかここは、船形光背を持つ石仏が主流です。 箱型石仏と船形光背の石仏がほどよく混在して並ぶ石仏群もあります。 地蔵菩薩像を苔の緑布が覆い尽くす日がくるのでしょうか。 それともお参りする人がお地蔵様を拝するためにそっと苔を取り除くのでしょうか・・・。 「たかの坊地蔵」という表示が出ています。 ここが今回の石仏めぐりの最後でした。 大きな舟形の光背を持つ矢田型の地蔵菩薩立像です。錫杖を持たない姿のお地蔵様です。鎌倉中期の造像だとか。 この地蔵尊像の前に、箱型の石仏像を主流にして、ずらりと横並びで石仏が安置されています。背後に大小の石塔がありますが、これも宝篋印塔の一種なのでしょうか。 「錫杖を持たない姿のお地蔵さまは、一般的に古いタイプのものとされています。他の石仏群は室町時代のものです。」(資料1) JR加茂駅への府道44号線と加茂青少年山の家や大門の磨崖仏めぐりへの道との分岐点 時間と体力があれば、大門の方に寄り道もできるのに・・・というところ。 今度は逆コースで、見られなかった石仏めぐりを兼ねて違う季節に訪れたいものです。 赤田川に架かる橋を渡ります。当尾から外れ、後はJR加茂駅へひた走りではなくて、ひた歩きです。3km少し、ガンバロウ! 「加茂町ふるさと自然散歩ガイドマップ」というのが設置されています。 この地図を見ると、赤田川と新川に挟まれた南方向に、当尾の里という地域があることがわかります。新川と赤田川が木津川に流れ込んでいくのです。 リーダーのもとで歩き、赤田川の橋をもう一度渡ることになります。 途中で見た池。加茂町高田のあたりです。 「大仏鉄道遺跡めぐり」の標識が出ています。これも加茂町観光のもう一つのお楽しみコースのようです。大昔に、ウォーキングで部分的に歩いた記憶があるのですが・・・・。 どうも、忘却の彼方に。いつか再訪してみたい。 しばらくは府道44号線沿いの歩道を歩きます。 「加茂町里」と表示が出ています。 最初に歩いてきた南加茂第1の方向に向かう道路との分岐がありますが、府道沿いにそのまま進みます。 これがもう一つの赤田川に架かる橋。 途中で、こんな標識をみかけます。 町並に入って来ていますが、田園風景の広がりも眺めつつすすむと、地蔵尊の小さなお堂やちょっと棹の部分が特異な石灯籠などが目に入ります。お堂の傍にも地蔵石仏が置かれています。お堂に二体並べていないところがおもしろい。 加茂小学校の校門前に出てきます。 加茂駅から常念寺に向かう道の横道の奧に眺めた校舎のところでした。 学校の中には、懐かしい像を見かけました。少年時代の二宮尊徳像のある学校も今や少なくなってきたでしょうね。金次郎少年は、何の本を読んでいるのでしょう・・・・。今回見て、ふと気になりました。(公文書では「金次郎」で、自筆は「金治郎」と表記されていたそうです。今回初めてそこまで意識しました。資料2) 調べて見ると、この像のスタイルを「振薪読書図」と称するそうです。そして二宮金次郎は『大学』を声を出しながら読んでいるのだとか。というのは、明治14年(1881年)に富田高慶著伝記『報徳記』が発行されていて、「大学の書を懐にして、途中歩みなから是を誦し、少も怠らず。」という記載が初出としてあることによります。(資料3) JR加茂駅まであとわずかです。 これで、加茂町の寺と石仏めぐりのご紹介を終えます。 ご一読ありがとうございます。 参照資料 1) 当尾の石仏 :「木津川市観光ガイド」 2) 二宮尊徳翁について :「報徳二宮神社」HP 3) 二宮尊徳 :ウィキペディア 【 付記 】 「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。 ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。 再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。 少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。 補遺 矢田寺の歴史と由来 :「矢田寺」HP 「矢田型地蔵」についての説明があります。 西明寺 :「木津川市観光ガイド」 旧加茂町大野 西明寺(さいみょうじ)笠塔婆 :「愛しきものたち」 残念石 :「史跡・めぐり歩き」 <観光スポット>大仏鉄道 :「木津川市観光ガイド」 幻の鉄道 大仏鉄道(加茂駅~大仏駅~奈良駅) :「木津川市」 大仏駅 :ウィキペディア 大仏鉄道記念公園 :「文化遺産ニュース」(ACCU奈良) 大仏鉄道研究会 公式ホームページ 小田原市尊徳記念館・二宮尊徳生家 :「小田原市」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝! (情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。 その点、ご寛恕ください。) 歩く&探訪 [再録] 京都・木津川市 加茂町 -1 まず常念寺へ 歩く&探訪 [再録] 京都・木津川市 加茂町 -2 金蔵院・大畑口・六地蔵石龕仏 へ 歩く&探訪 [再録] 京都・木津川市 加茂町 -3 岩船寺・白山神社 へ 歩く&探訪 [再録] 京都・木津川市 加茂町 -4 石仏めぐり 岩船寺から浄瑠璃寺まで へ 歩く&探訪 [再録] 京都・木津川市 加茂町 -5 浄瑠璃寺 へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2017.06.09 16:41:58
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