3807799 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

遊心六中記

遊心六中記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

茲愉有人

茲愉有人

Calendar

Category

Comments

Archives

Favorite Blog

まだ登録されていません
2019.03.01
XML
カテゴリ:探訪
​​​​​​​
野洲市小篠原には様々な古墳や古墳群があります。その一つが国史跡である大岩山古墳群です。その中に天王山古墳・円山古墳・甲山古墳が所在します。この3古墳を保存公開するために、「桜生(さくらばさま)史跡公園」が整備され、保存・公開されています。
冒頭の家形石棺を象って「桜生史跡公園」と刻した表示が、史跡公園の入口にあります。
史跡公園はJR東海道新幹線とその東側の国道8号線との間にある大岩山丘陵にあります。新幹線側の道路沿いに入口があり、エントランス広場・駐車場が設けてあります。

                                                    この建物が「ガイダンス施設」です。

                                                                 建物前に、この案内碑が設置されています。

大岩山古墳群は、宮山2号墳・円山古墳・甲山古墳・天王山古墳・大塚山古墳・古冨波山古墳・亀塚古墳・冨波古墳の8基の総称です。(資料1)


まずガイダンス施設を見学しました。ここでA3サイズ両面にまとめた案内資料をいただきました。そこに掲載の公園全体図をまずご紹介しましょう。(資料2)
赤丸が冒頭の家形石棺で公園名称の表示を目にしたところです。青色がガイダンス施設のある場所です。 L字型の建物の一方には、「甲山古墳の墳丘土層断面」が展示されています。
         
                      

                         
    傍にこの案内掲示があります。

この展示室の入口の壁側に、出土品の一部が展示されていて、壁には3古墳の発掘に関連した写真と説明パネルが展示されています。
 
        これは甲山古墳の盛土状況の写真と説明のパネルです。
最初に「展示の土層は、甲山古墳の通路(羨道)の解体修理時に検出した盛土をそのままはぎとったものです」と記されています。1994年から年間発掘調査を行った結果、「盛土を石室天井から3.8mも積み上げた厚い墳丘が明らかになりました。花崗岩の岩盤を整地し、石室を組み上げ、この石室をおおう墳丘を造るために、有機質土・粘質土・砂質土を交互に版築状に突き固め、二重の白い粘土でおおっています。」と説明されています。

   
          甲山と円山の古墳出土遺物の一覧パネルもあります。
古墳別も含めてかなりの枚数のパネル展示がありますので、ここで一通りの情報を知ることができます。最初にぜひ、このガイダンス施設を訪れてみてください。
 
3つの古墳の構造を対比したパネルもあります。
     
史跡大岩山古墳群について、各古墳のロケーションを示すこの地形図パネルも展示してあります。

それでは古墳を巡ります。
 
          
         最初は、円山古墳の上に登りました。円墳の頂まで階段が設けてあります。
     
 
小雨の為に、西方向に見える平野部は薄いベールがかけられたようで、空との境も不分明です。
      
                             基準点が設置されています。
 
             この案内碑が設けてあります。
大岩山から北西に延びる丘陵上に位置します。小篠原字大岩山4番地の1、と所在地まで明記されています。
円墳。直径28m、高さ約8m。6世紀前半の築造。
               
 西に開口する横穴式石室があります。
       
 
鉄扉越しに内部が覗けるようになっています。
玄室長4.3m、幅2.4m、高さ3.1m、羨道は長さ6、以上。入口から玄室床面に約1m斜めに下り、天井石も奥に向かい階段状になっているそうです。玄室の手前に、阿蘇凝灰岩製の刳抜(くりぬき)式石棺(家形石棺:長さ2.85m、幅1.3m、高さ1.83m)があります。。その奥に大和二上山の凝灰岩製の組合式石棺(印籠形の受け部を持つ家形石棺)が発見されています。床面は玉石が敷かれ柱穴が検出されたとか。盗掘を受けていたようですが、それでもかなり多くの各種遺物が出土しています。(資料2,3、説明碑)
 
    
公園全体図でみれば、北西側の散策路から円山古墳に登り、横穴式石室を眺めて、この石標の立つ南側に回ってきたことになります。

 次に向かったのは、天王山古墳です。
ここも古墳頂上に登ることができるのですが、雨が降っているのでパスすることになりました。
 
古墳傍にこの説明碑が設置されています。資料類を読むと、次のことがわかります。

北に前方部を向ける前方後円墳。全長50m、高さ約8m、前方部幅約25m、後円部径24m。前方部の頂きが標高119m、後円部の頂が標高119.2m。大岩山古墳群中唯一の前方後円墳。小篠原字天王山92番地の1に所在。
この古墳は丘陵部を利用していて、盛土は比較的少ないことが判明しているそうです。5世紀末造営と推定される古墳。
この古墳は、現状保存を行うこととされ、墳丘確認を目的とした地中レーダー探査と試掘調査にとどまるそうです。その結果、後円部からの明確な埋葬施設は未確認。
前方部では、花崗岩の板石が露出していたそうで、西に開口部を持つ小さな横穴式石室があります。石室の大きさは長さ4.3m、玄室長2.9m、幅約1m。石室は板石状の花崗岩を積み上げて築き、入口を閉じているそうです。6世紀の追葬と考えられるとか。(資料2,3、説明碑)

天王山古墳の傍を通り、
  甲山古墳に向かいます  
 
甲山古墳は、天王山古墳北側の丘陵先端にあります。
 
 
         
ここは、外の鉄扉が開いて、石室に入った中にもう一つの閉じられた扉がありました、その扉越しに石棺を眺めることができます。
 
                              古墳傍に設置された説明碑
 
こちらは、ガイダンス施設に展示の説明パネルです。

直径約30m、高さ8mの円墳で、6世紀前半の造営と推定されています。横穴石室は西南西に開口していて、玄室長6.6m、幅2.8m、高さ3.3m。通路は奥に行くに従い天井石が一石ごとに階段状に低くなる構造。玄室には水銀朱とベンガラが塗られた熊本宇土半島の凝灰岩製(馬門石製)の刳抜式家形石棺が納められています。蓋の長辺に各2個、短辺に各1個の縄掛突起が備わっています。石棺の大きさは長さ2.60m、幅1.90m、高さ.90m
床面には玉石が敷かれ、その上に朱や雲母が散乱していたそうです。
石棺は盗掘を受けていて、ガラス玉が2点出土しただけだとか。別に、副葬品は様々な遺品が出土しているそうです。(資料2,3、説明碑)

    
 
甲山古墳を見学後、ガイダンス施設前まで戻り、史跡公園を後にしました。
この後、宝珠寺~日吉神社~桜生城跡を巡って行きます。

つづく

参照資料
1) ​大岩山古墳群​  :「コトバンク」
2) 「桜生史跡公園」 ガイダンス施設でいただいた案内資料
3)REC「近江の歴史散歩42 ~野洲を歩く~」 2019.2.19
 (講座レジュメ資料 龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏作成)

補遺
桜生史跡公園​  :「野洲市」
滋賀県 文化財学習シート 一覧​ :「滋賀県総合教育センター」
     史跡023 大岩山古墳群
野洲市の国史跡(大岩山古墳群)甲山古墳が掲載されている資料を知りたい。
     :「レファレンス協同データベース」
野洲市の古墳・遺跡 [近江の遺跡] ​:「北村さんちの遺跡めぐり」
大岩山古墳群​  :「JAPAN-GEOGRAHIC.TV」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

探訪 滋賀・湖南 野洲を歩く -1 三上神社・西徳寺・辻町子安地蔵堂 へ
探訪 滋賀・湖南 野洲を歩く -3 寶樹寺・桜生城跡・日吉神社 へ
探訪 滋賀・湖南 野洲を歩く -4 福林寺跡磨崖仏・真福寺 へ
探訪 滋賀・湖南 野洲を歩く -5 稲荷神社・三上陣屋跡・悠紀斎田・御上神社ほか へ

こちらも御覧いただけるとうれしいです。
観照 [再録] 滋賀・野洲  銅鐸博物館にて -1 弥生の森
   2回のシリーズでご紹介しています。


​​​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.03.04 17:26:58
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X