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カテゴリ:探訪
今回も最初に、講座レジュメに掲載の地図から切り出した部分図で、最後の探訪先の位置関係をイメージしていただければと思います。色のついた丸を追記しました。(資料1) 地図の左上に赤い丸を付けたところがJR野洲駅です。右上に大岩山銅鐸出土地と福林寺磨崖仏・真福寺が位置します。真福寺境内を経由して国道8号線を南に進みます。 最終行程での最初の探訪先は、野洲中学校のすぐ南、国道8号線に面した「稲荷神社」(マゼンダ色の丸)です。この景色は、神社を出た後に国道を西に渡ってから撮った景色です。次の探訪先に向かう時に知ったのですが、この稲荷神社の正面参道が国道8号線により分断されてしまったのです。 国道を渡った後、西方向に参道を進むと、 社号石標と一ノ鳥居がありました。 まずこの境内図を載せておきます。現在地と矢印の記されたところに設置されています。 つまり、上掲の国道に面した石鳥居は二ノ鳥居になります。 では二ノ鳥居から境内に入りましょう。 鳥居を潜ると、その先に狛犬が奉納されています。獅子・獅子型の一対のようです。 台座の組み合わせがおもしろい。 参道を進むと、拝殿があります。入母屋造で、間口三間奥行三間。 拝殿を回り込むと、中門と透かし塀の瑞垣で囲まれた本殿が見えます。 瑞垣の手前に奉献された狛犬もまた、獅子・獅子型です。石像ですが眼・口・足の爪などに彩色の痕が残っています。 由緒によれば、この中門は享保14年に「松平家の京屋敷中門」が奉納移築されたもの。 本殿。一間社流造。間口五尺六寸、奥行五尺四寸。 (資料2) 稲荷神社ですので、祭神は宇迦之御魂神です。 この神社は、由緒によれば元禄16年8月に、元社地の字志礼の地から現在地字沢ノ口に遷座されたそうです。 境内に設置されているこの由緒案内により、福林寺のことが少しわかるとともに、稲荷神社との関係も理解が深まりました。 福林寺については、「天智天皇壬申の乱に野洲川原で戦死した人々の供養及び鎮護国家を祈願し、石城村主宿弥が福林寺を建立」し、「のち永禄年間の争乱で福林寺の伽藍は衰亡し、・・・・・福林寺の一宇真福院のみが残った」とのことです。 この稲荷神社との関係ですが、福林寺の守護神として天暦2年4月(948)に伏見稲荷大明神を寺域小篠原志礼の地に勧請して創祀されたと、神社縁起書が伝えるそうです。 福林寺域小篠原氏神、つまり小篠原村の産土神として崇敬されてきたのです。(由緒案内、資料2) 本殿の回縁に木造狛犬像一対が安置されています。狐はここには見えません。 本殿に向かって、左側に横並びにこの境内社が見えます。「古宮神社本殿」(重文)です。 一間社流造、こけら葺です。組物、頭貫の木鼻、向拝の蟇股などの意匠から室町時代の建立と考えられています。昭和17年(1942)に解体修理されて、復原整備されたと言います。(資料1、二案内板) 古宮神社の草創は鎌倉時代だとか。(古宮神社案内板) 禅宗様の木鼻と木組 唐草文様の蟇股 この古宮神社は、もと福林寺の鎮守だった十二所神社の建物を大正3年(1914)5月に移したものだそうです。(資料1,案内板より) 「廃寺福林寺本堂の上座にあって一山の護法守護神として崇敬されていた」(由緒案内)と言います。 一方、本殿にむかって右側には、境内社として「若宮神社」が並んでいます。 説明はありませんが、「古宮神社」(十二所神社)に対して「若宮神社」というネーミングなのでしょうか・・・。 由緒には、「大正3年5月、十二所神社、三神社、大神社、岩神神社を合祀した」と説明されていますので、三神社、大神社、石神神社が併せてこちらに祀られていると推測します。 参道でふと目を留めた石灯籠の竿に「三神宮」と刻されていました。 その時は、これは何?と素朴な疑問を持ちました。 後日に、講座の松波先生からeメールにて拝受した資料と、記録として撮った上掲の由緒案内で理解が深まりました。三神社=三神宮であり、この石灯籠は元文3年(1738)に奉納されたものでした。三神社がこの稲荷神社に合祀された際に併せて移設されたのです。(資料3) 合祀された神社の祭神等の関係が少し明らかにできました。(資料2,3、由緒案内) 滋賀県神社庁に掲載の当稲荷神社のページには「〔配祀神〕大山祇女神 土祖神 瓊々杵命 天御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 大歳神 多力雄命」と記されています。由緒案内には、祭神以外の説明はありません。元々の配祀神があれば一般的には案内に明記されますので、無かったと解釈しました。そこで入手できた資料の範囲から整理しますと、次のようになります。 (間違いがあるようであれば、ご教示いただけるとありがたいです。) 十二所神社 廃寺となった福林寺山内 祭神:瓊々杵命 「天神七代地神五代即チ十二柱神を齋奉リテ、福林寺ノ守護神とセラレタリ」(資料3) の記述も並記されています。瓊々杵命は地神七代の一柱に相当します。 三神社 元山ノ脇村氏神 祭神:天津御中主神・高皇霊神・皇霊神 (資料3の神名で表記。高皇霊神=高皇産霊神、皇霊神=神皇産霊神と理解) 岩神神社 妙光寺山中腹山上 祭神:多力雄命 大神社については参照資料なく、元の所在地は不詳。限られた情報から消去法で絞り込みますと、大山祇女神・土祖神・大歳神が祭神に相当します。 これらを大神社の祭神だったとすると少し強引な気がします。 多分欠落している情報があるのでしょう。未解決の課題です。 さて、境内を眺めて見ますと、 拝殿に向かって左側(北)に、末社として「愛宕神社」が勧請されています。 逆に右側(南)には、石鳥居と参道があり途中に朱色の鳥居が立ち、本殿と並ぶあたりまで奥まったところに、末社「薬弘稲荷社」が祀られています。別に改めて勧請されたのでしょうね。こちらは遠景として写真を撮っただけにとどまります。 手水舎の北側には、こんな化灯籠も立っています。 稲荷神社を出て、最初に先回りしてご紹介した参道から一の鳥居を出ると、 そこは旧中山道にあたる道路です。 しばらく、旧中山道を南下し、三上陣屋跡(空色の丸を追記した場所)に向かいます。 途中、妙光寺山先端の小丘陵頂部には「越前塚古墳」が所在するそうですが、樹木が繁り古墳の存在はわかりません。全長52.5mの前方後円墳だとか。 更に南に進むと、西方向には「塚越古墳」という径20m以上の円墳が確認されているとのこと。(資料1) 国道8号線の歩道を歩き、「三上山登山道」の道路標識や「天保義民碑」石標の傍を通り過ぎた先に、「三上陣屋跡」が位置します。 現地は道路脇に流れる水路が元陣屋の掘として利用されていたということが遺構として見えるだけでした。陣屋跡は民間の住宅地に変貌しています。 講座レジュメより、「三上陣屋復元概念図」を孫引きしておきます。 「元禄11年(1698)三上藩主(1万石)となった遠藤氏の居城」だった場所だとか。(資料1) ここから、田圃の間の道を通り、御上神社(緑色の丸を追記したところ)に向かいます。 畦道を歩き始めると、左側にこの石標が立っています。 田圃の西端を左折して田圃沿いに進むと、 神明鳥居の先に「悠紀齋田記念碑」という大きな記念碑が建立されていました。 右側に「昭和大禮大嘗祭」と刻まれています。 後で調べてみますと、「昭和3年の昭和天皇即位式に続いて行われる大嘗祭に供える米を作る田(悠紀斎田・ゆきさいでん)に野洲郡三上村(現在の野洲市三上)の大田主粂川春治氏が選ばれました。」ということでした。(資料4) これを記念して、昔ながらの衣裳で「お田植まつり」が5月に行われています。 「悠紀」を辞書で引きますと、第一羲に「神聖な酒」とあり、第二義に「大嘗祭で、新穀を奉る国群の第一。あるいはその斎場。平安時代以降は近江国に一定。」(『日本語大辞典』講談社)と記されています。 また、「悠紀」には対義として「主基(すき)」があるのです。こちらは「大嘗祭で、神事のための新穀を、一番目の悠紀の国に続いて二番目に捧げる西方の一国、あるいはその斎場。主基殿。」(同上)のことだと言います。 余談です。 因みに、大正天皇即位時の大嘗祭悠紀斎田は愛知県岡崎市中島町の田圃で、ここでもお田植えまつりが実施されているそうです。(資料5) また、平成天皇即位時の悠紀斎田は秋田県五条目町の田圃で、主基斎田は大分県玖珠町の田圃だったと言います。(資料6) 昭和の主基斎田は、福岡県早良郡脇山村の田圃に決定したとか。(資料7) さらに遡り、大正の主基斎田は、香川県綾歌郡山田村(現在の綾川町山田上)の田圃に決定されたそうです。(資料8) 元に戻ります。国道8号線を渡ると、 今回最後の探訪先「御上神社」に至ります。 参道を歩いていた頃、一時的に雨風が強まりました。写真を撮るのには悪いコンディションです。 手水舎の向こうに社務所が見えます。 楼門前に狛犬像が奉納されています。ここの台座の組み合わせ方が上掲の稲荷神社の石鳥居傍の狛犬像の台座のモデルになったのでしょうか。どちらも同じ形式です。 楼門(重文)の正面をうまく撮れませんでした。これは楼門を通り抜け、内側から撮った景色です。 三間一戸で一重屋根、入母屋造、檜皮葺の楼門です。上層間斗束裏面に康安五年(1365)の墨書が残るといいます。全体は和様ですが、上層頭貫に禅宗様木鼻が付けられているという混用がみられるそうです。(資料1,9) 今回は細見している時間がありませんでした。できれば機会を改めて細見したいと思います。 楼門を入ると、正面に拝殿があります。これも風雨の影響で撮るのを断念。 拝殿の奥に、本殿(国宝)があります。 入母屋造の一重、檜皮葺で、向拝一間、漆喰壁と連子窓があり、仏堂的要素が融合した神社建築です。桁行三間、梁間三間。鎌倉時代後期の造立と推定されています。(資料1,9,案内板) 入母屋造の神殿として、御上神社本殿はその最古のものといわれているそうです。 手許の本では、「母屋1間四方を神座とし、仏堂に多いいわゆる一間四面堂建築である。本殿は3間四方で、前面、左右面に回縁をめぐらしている」と平面図を併せて説明しています。(資料10) 祭神は天之御影命(あめのみかげのみこと)です。第七代孝霊天皇の六年六月十八日に天之御影命が三上山に降臨されたのが起源とされ、三上山が神体山、つまり、「清浄な神霊の鎮まる厳の磐境」(資料9)として祀られています。 『古事記』の開化天皇の段には、次の記述がでてきます。(資料11) 「また、近淡海の御上の祝(はふり)がもちいつく天之御影神の女、息長水依り比売(おきながのみずよりひめ)を娶(めと)して生み子は、・・・・・」 (また近江の御上の祝の人が清め祭っているアメノミカゲ神の女(むすめ)のオキナガノミヅヨリヒメを妻として生んだ子は、・・・・・) ここに、天之御影神が登場しています。 本殿に向かい、右側にこの案内板が設置されています。 漆喰壁と連子窓。木組みはシンプルです。 回縁の柱の縁束石には反花が刻まれているのは壮観です。 屋根の棟には、千木と堅魚木が取り付けてあります。棟に見える紋が神紋なのでしょう。御上神社の神紋は「釘抜紋」だそうです。(資料12) 本殿に向かって左側には、摂社「若宮神社本殿」(重文)が並んでいます。 一間社流造、檜皮葺です。「低い浜床や蟇股の形状から鎌倉時代後期建立と推定」(資料1)されています。 祭神として、伊弉諾命とともに、菅原道真命・天之御桙神・野槌大神が合祀されています。右の柱には、学問向上の守護神としての「菅原道真公」の木札が掛けられています。一番身近に知られているからでしょうか。祈願のニーズが高いのでしょう。 本殿に向かって右側には摂社「三宮神社」が並んでいます。こちらは県指定有形文化財です。 一間社流造、檜皮葺。室町時代の建立です。「十禅師社」とも称したそうです。 祭神は瓊瓊杵命です。(資料1,9) 屋根の棟には、本殿同様に神紋が光っています。 蟇股には牡丹の透彫が施されています。(資料1,9) 最後の探訪地となった御上神社は、天候と時間の関係で細見までには至りませんでした。 後で調べていて、次の記述を見つけました。 「なお、御上神社には、国道と反対側の鳥居から入る参道もある。こちらの参道は、正面に三上山の山頂を仰ぎ、中山道にも近いことから、この参道のほうが古いと考えられる。」(資料12) この参道には気づきませんでした。季節と天気の良い時機に再訪してみたいなと思っています。 今回の史跡探訪記を終わります。ご覧いただきありがとうございます。 参照資料 1) REC「近江の歴史散歩42 ~野洲を歩く~」 2019.2.19 (講座レジュメ資料 龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏作成) 2) 稲荷神社 :「滋賀県神社庁」 3) 『小篠原のお寺とお宮さん』 野洲町発行 p41,p45 4) 悠紀斎田 お田植まつり :「滋賀・びわ湖 観光情報」 5) 六ツ美悠紀斎田お田植えまつり :ウィキペディア 6) 平成の即位礼のときの①悠紀斎田、②主基斎田は? :「レファランス協同データベース」 7)昭和の主基斎田~福岡県の記録から~ :「福岡共同公文書館」 8) 主基斎田(すきさいでん)のあらまし :「綾川町商工会」 9)近江富士 三上山 御上神社 ホームページ 10) 『図説 歴史散歩事典』 井上光貞監修 山川出版社 p117 11) 『古事記(中)全訳注』 次田真幸訳注 講談社学術文庫 p75,p77 12)御上神社 :「滋賀県神社庁」 補遺 天神七代 :「コトバンク」 地神五代 :「コトバンク」 大山祇神/大山津見神 :「コトバンク」 悠紀斎田 お田植えまつり ( 野洲市 ) :「滋賀ガイド」 昭和大礼悠紀斎田記録. 下 滋賀県 :「国立国会図書館デジタルコレクション」 平成の悠紀斎田を訪ねて :「森田勇造の日々の随想」 近江富士 三上山 御上神社 ホームページ 三上山 :ウィキペディア 釘抜紋 :「家紋の由来」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝! (情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。 その点、ご寛恕ください。) 探訪 滋賀・湖南 野洲を歩く -1 三上神社・西徳寺・辻町子安地蔵堂 へ 探訪 滋賀・湖南 野洲を歩く -2 桜生史跡公園(史跡大岩山古墳群)へ 探訪 滋賀・湖南 野洲を歩く -3 寶樹寺・桜生城跡・日吉神社 へ 探訪 滋賀・湖南 野洲を歩く -4 福林寺跡磨崖仏・真福寺 へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2019.03.04 14:35:10
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