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カテゴリ:観照
![]() 京都市京セラ美術館の建物を北西側から眺めた全景 「京都市京セラ美術館 館内巡り」の冒頭でふれましたが、リニューアル・オープンする前に、リニューアル工事期間中の遮蔽壁が撤去された時点で外観巡りをしています。 「観照 京都・岡崎 京都市京セラ美術館外観を巡って」をご覧いただけると有難いです。 (クリックしてご覧ください) 今回、最後に美術館の外観を再見してみました。細見という観点で少し細部を眺めることにして、美術館の周囲を巡ってみました。上掲の記事と多少重複するとこともあるかもしれませんがおつきあいください。 ![]() 美術館のB1が増設されるとともに新たにできた建物が「京セラスクエア」の北端にあります 美術館本体に地階で繋がるこの「北西エントランス」です。 ![]() ![]() 美術館正面のエントランスは横長の建物の中央部で凸型に張り出しています。 車寄せの屋根の部分、建物正面をまず細見してみます。 この張り出し部分の1階と2階それぞれについて上記「館内巡り」でご紹介ずみです。 ![]() 正面から見上げた景色 ![]() ![]() 幅広く面取りをした石造角柱の上部は、寺院建築での頭貫の木鼻と同形の印象を受けます。 屋根側面の飾り金具の中央も、木造建造物の柱やお寺の門にみるグギ隠しの装飾金具風です。屋根の上には、蓮華座を用いた石塔様の装飾物が置かれています。 この辺りは和風のイメージです。 ![]() ![]() 建物の煉瓦壁面には、石造装飾が取り付けてあります。ちょっと洋風にアレンジ・・・・か。 日本の木造建築の組物の形に西洋風の意匠を折衷したデザインの印象を受けます。 ![]() 正面中央部には小ぶりで反りのある切妻造屋根が意匠として採り入れ得られています。 破風の合掌部の装飾金具は和風です。また、三ツ花懸魚のスタイルが使われています。 ![]() 京セラスクエアのゆるやかな大鉢の内面を下り、また上がる形で、神宮道通りにたつ巨大鳥居を右に見て、縦断します。 ![]() ![]() Uターンして、かつての地上の正面玄関、車寄せに進みます。 ![]() それでは扉の細部の意匠を細見したいと思います。 ![]() 観音開きの扉二枚の中央部 ![]() ![]() 扉の右端に4つの飾り金具がついています。左から上2つの写真です。同じ意匠。 ![]() ![]() 中央部菱形文様の上にある飾り金具。扉が重なるところ。 それでは、反時計回りに美術館の外回りに移ります。 ![]() 建物の南側面にも車寄せを備えた入口があります。こちらは以前の記憶とほぼ同じです。 ![]() ![]() 中央部分に焦点をあててみます。 基本の意匠は正面扉と同じですが、細部を観察すると微妙に違う箇所があります。 これは1つひとつが職人技による手作り作品ということから生じているのでしょうね、 もう1つ、全体意匠の裁ち切り方が異なります。見比べてみてください。 ![]() 2枚の扉が接合する中央部の意匠を切り出しました。 ![]() ![]() 扉の石柱の角は曲面の枡形をつなぎ、蓮弁様の文様が3枡に1つにレリーフしてあります。 扉周辺部の飾り金具もまた正面扉の意匠と同じです。 ![]() 美術館の東側面を左に、「東山キューブ」を正面に、右に日本庭園の広がりを眺めた景色です。 スロープを歩んで行くと、リニューアルでできた美術館外壁を取り込んだガラスウォールの通路部分です。フロア図によれば、「東エントランス」になります。 ![]() 京都市京セラ美術館の庭園 東側に広がる日本庭園の南辺に回り込んでみます。 この庭園の作庭者はだれ、いつ頃? 気になり調べてみました。 明治42年(1909)に小川治兵衛により作庭されたそうです。小川治兵衛は「植治」と呼ばれた近代の名作庭家です。たとえば平安神宮神苑、無鄰菴の作庭家として知られています。(資料1) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 池の南東隅から眺めた景色 ![]() 美術館の東側、池の西辺を散策がてらに・・・・。 ![]() 池の北西側から眺めた景色 ![]() 池に架かる石橋をわたり、池の畔から南西方向を眺めた景色 ![]() 美術館の敷地の東端は生垣で仕切られて東側に石敷の並木歩道が設けてあります。南方向の景色 ![]() 左前方に「東山キューブ」を並木越しに眺めた北方向の景色 この辺りは季節がことなりますが、以前にもご紹介しています。 季節の違い、撮った時間帯の違いを対比的にご覧いただくとおもしろいかもしれません。4499 関内巡りでご紹介した「東山キューブ」の外縁部分はこちらの景色の方がわかりやすいでしょう。 ![]() 美術館の北東角は、二条通りと岡崎通りの交差点です。 ![]() 二条通りに面した「東山キューブ」の北面です。壁面に美術館名が明示されています。 ![]() こちらに通用口や搬出入口があります。 ![]() この辺り、六勝寺と総称されたうちの1つ、「円勝寺」の伽藍が建立されていた跡です。 美術館の所在地は岡崎円勝寺町です。現在も地名にその痕跡が残されています。 六勝寺は平安末期の院政期にこの岡崎地域に建立された寺々です。法勝寺・尊勝寺・最勝寺・円勝寺・成勝寺・延勝寺という六寺の総称です。 円勝寺は1128年3月、鳥羽天皇中宮待賢門院藤原璋子の御願寺として造立されたお寺。現在のこの美術館の敷地がほぼその寺域にあたるそうです。方一町の寺域内に、金堂・五大堂・薬師堂・東塔(三重塔)・中塔(五重塔)・西塔(三重塔)などが林立していたそうです。壮観だったでしょうね。実質は白河法皇により建立されたのだとか。 地震・火災等幾多の災害に遭い荒廃し、最後は応仁の乱で遂に廃寺となったと言います。(資料2,3) ![]() 美術館の北側の入口です。建物様式としては左右相称です。 入口環境の雰囲気としては、琵琶湖疏水に面する南側の方がいいですね。 ![]() 二条通りを左折し、神宮道通りの歩道を南に下ります。 「京都美術館」の銘板が昔のままに残されています。 市立美術館は、昭和8(1933)年11月に昭和御大典を記念して建てられました。(資料2) 昭和御大典とは、昭和天皇の即位儀礼です。この時は京都御所で行われています。(資料4,5) ![]() ![]() そして、現在の美術館の石標まで戻ってきました。 ![]() 慶流橋上から美術館の全景を樹木越しに眺めて終わりとします。 ご覧いただきありがとうございます。 参照資料 1) 京セラ美術館 日本庭園 :「庭園ガイド」 2) 『昭和京都名所圖會 洛東-下』 竹村俊則著 駸々堂 p162-166,p168 3) 『続・京都史跡事典』 石田孝喜著 新人物往来社 p31 4) 御大典と京都市民 :「映像に見る近代京都の生活文化」 5) 昭和天皇の即位御大典 :「名古屋市博物館」 補遺 六勝寺 都市史 :「フィールド・ミュージアム京都」 六勝寺 :ウィキペディア 小川治兵衛 :ウィキペディア 七代目小川治兵衛の庭園 :「おにわさん」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝! (情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。 その点、ご寛恕ください。) 観照 京都市京セラ美術館 館内巡り へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.06.25 00:20:05
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