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遊心六中記

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茲愉有人

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2024.01.20
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カテゴリ:観照
 2015.2.19
京都市内の山科から市外に飛びましょう。まずは宇治へ。
冒頭の本殿は、「縣(アガタ)神社」の本殿です。
宇治橋西詰に立つと、大きな石鳥居が見えます。ここから参道になります。突き当たりの手前、左側が境内地です。平等院の西に位置します。

唐破風屋根の拝所で、前方を見上げると、頭貫の上にダウナミックな龍の透かし彫りを眺めることができます。

白い宝珠を掴む爪に目が惹き寄せられますが、残念なことに龍頭が今では欠損になっています。

ここから男山の山上に飛びましょう。
 2023.12.24
そこには、「石清水八幡宮」(八幡市)があります。
本殿を囲む廻廊と楼門の前面に唐破風屋根の拝所があります。

虹梁の上、束の両側には極彩色の透かし彫りが施されています。

左側に龍がいます。右には龍と向き合う形で虎がいますが省略。
 
                                       
             もう一カ所、頭貫の両端の木鼻には、一般的には象か獅子の彫像が多いのですが、
           ここでは龍が彫刻されています。

ここで今、ふと思ったこと。はて、龍はどのように数えるのだろう?
ネット検索で調べてみますと、一匹、一頭、両方OKだそうです。
「ただし、想像上の動物として民話などに登場する場合は『匹』で数えます。『頭』で数えると、竜の現実的な存在感が増します」(資料1)

この拝所前では一挙に3頭の龍を眺められることになります。

男山から南東方向、京田辺市北部に飛びます。
京田辺市の北部の「松井」と称される地域を探訪した時に出会った龍たちです。
 
                    2018.5.10
八幡京田辺ICに近く、京田辺市の最北部に位置すると言えるのが、この「松井天神社」(松井向山)です。
 
本殿・向拝の頭貫の正面に金龍がいます。
 
       
                     少しクローズアップして・・・・。
 
 
    金龍が中心に見える形で本殿が様々な意匠で煌びやかに彩色されています。

松井天神社の南東方向で隣りの松井里ケ市にあるのが、
 2018.5.10
「来迎寺」(浄土宗)です。
 
    
このお寺で出会ったのが、本堂の脇陣の厨子の一つに安置された龍像です。
      
どういう目的で造形された物なのでしょう。佛具の一つとしての竜神でしょうか。
ある史跡探訪講座の一環で拝見でき、教えていただく時間のゆとりが無かったので不詳です。

ここからさらに南東の大住地域に向かいます。
 2018.5.10
「両讃寺」(浄土宗、大住八河原)です。
 
        
       本堂の欄間に向かい合う二頭の龍が透かし彫りにされ、彩色されています。

ここから奈良に飛びます。
まずは、東大寺の境内、大仏殿の西側へ。
 
「東大寺指図堂」です。右側の柱に木札が掛けてあります。
 
 
        このお堂の向拝に龍がいます。


ここは平安時代に創建された中門堂跡地だそうです。1567年の三好・松永の乱で、大仏殿とともに焼失。江戸時代初期に、大仏殿三度目の復興気運が盛り上がったとき、「この中門堂跡地には大きな板絵に描かれた『指図』すなわち大仏殿の計画図面を展示するお堂が建てられた。指図堂という名称はこのことに由来するという」(資料2)とのこと。

東大寺から南に飛びます。JR桜井線の帯解駅近くへ
 
                   2016.5.28
「帯解寺」です。手水舎の龍でご紹介していますが、本堂の向拝に
 
           頭貫の上に龍がいます。


JR桜井線で言えば、帯解駅から一駅南、「櫟本(イチノモト)」駅に向かいます
帯解駅は奈良市の南西端に、一方、櫟本駅は天理市の北端に位置します。

余談です。帯解駅は帯解寺に由来する駅名のようです。そして、寺名の由来は、「文徳天皇妃である染殿皇后が当寺に祈願し、無事安産されたことから、文徳天皇により、天安2年(858年)春、無事に帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と名付けられました」と言います。(資料3)
ウィキペディアによれば、櫟本駅の「駅名は天狗が住む巨大な櫟(イチイ)の木があったという伝説に由来する」とか。(資料4)

 
櫟本には、「和爾下神社」があります。
お堂の左側の板屏の瑞垣の向こうには境内社があります。
 
隙間から眺めますと、小社の頭貫の上に龍がいます。

さて、ここから西方向、斑鳩の里に飛びます。「法隆寺」へ
 
法隆寺の「金堂」に龍がいます。
 
1階の屋根と2階の屋根との間に支柱が設けてありますが、ここに龍がいます。
 昇り龍
 降り龍
 
        支柱の龍は屋根の四隅に見る事ができます。
 
また、1階の屋根と裳階(モコシ)との間にもちょっと異様なこの彫像が屋根を支えています。
これも龍の姿のように思うのですが・・・・どうでしょう。


法隆寺から、南西寄りに南へ、県境を越えて和歌山県に入り、高野山へ飛びます。
  
             「金剛峯寺」の主殿(本坊)
この場所は、もとは豊臣秀吉が建て、後に青巌寺と称された寺があった場所です。
秀吉は菩提寺として建てたと考えられているそうです。その青巌寺の柳の間で豊臣秀次が自刃して果てました。
現在の建物は、青巌寺の場所に、江戸時代後期に、秀吉建立の青巌寺と形や大きさが同じ建物を建立したとされています。(資料5)

上掲の右の写真は、大玄関(左:表玄関)と小玄関(右)の全景です。左の写真の檜皮葺(ヒワダブキ)の屋根には天水桶が置かれています。雨水を溜めておき防火に役立てるとのことです。(資料6,7)

 
 
     この主殿の大玄関の屋根の切妻部分に龍がいます。

ここでひと区切りとします。
次は、高野山から滋賀へ飛びます。

つづく

参照資料
1) ​​    :「数え方単位辞典」
2) ​指図堂​  :「東大寺」
3) ​帯解寺紹介​   :「帯解寺」
4) ​櫟本駅  ​ :ウィキペディア
5) ​高野山大学総合学術機構課長 木下浩良氏「高野山奥之院の『豊臣家墓所』について」
                  :「ストーンサークル」
6) ​大玄関と小玄関​  :「高野山」
7)​ 天水桶​      :「高野山」

補遺
京都宇治 縣神社​ ホームページ
石清水八幡宮​   ホームページ
天神社​     :「お茶の京都」<京都府南部(山城地域)の観光情報サイト>
来迎寺​     :「京田辺市観光協会」
浄土宗 發迎山 両讃寺​ ホームページ
東大寺​  ホームページ
第11番東大寺指図堂​  :「法然上人二十五霊場」
帯解寺​  ホームページ
和爾下神社​  :「天理観光ガイド・天理市観光協会」
法隆寺​  ホームページ
高野山 高野山真言宗総本山金剛峯寺​ ホームページ

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

こちらもご覧いただけるとうれしいです。

「観照 辰年 時空を跨ぎ龍の棲息地へ」 記事一覧





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Last updated  2024.01.20 18:31:31
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