|
カテゴリ:観照
新町通を下がると、北観音山の南に「南観音山」が見えます。所在地は百足屋町。 駒札 南観音山は、別名「下り観音山」と称されます。江戸時代には北観音山と南観音山は隔年交代で祇園祭の山鉾巡行に参加していたそうです。現在は両観音山は共に巡行に参加しています。 南観音山も御神体は楊柳観音像で、脇侍には善財童子が祀られます。北観音山の脇侍は韋駄天像で、この点が違います。 北側面 前懸は、金糸、銀糸を含め19色の絹糸を使った幾何学文様の図柄です。 西側面 水引は、土佐光孚(トサミツザネ:1780~1852)の下絵による「金地舞楽図刺繍」(多分・・・・) 2023年には、後でご紹介する形の展示品として拝見しています。 二番・三番水引は、2003年と同じ。 三番水引は宛色朱子地「雲龍図」の刺繍(復元新調品)です。 胴懸はペルシャ花文の緞通。 南側面 天水引は、真向龍の図柄が刺繍されています。 山正面の水引は、舞楽が演じられている場所を囲む幔幕の図柄が刺繍されています。 駒形提灯の提灯には「百」の字が記されています。百足屋町の「百」と推測します。 新町通の西側には、展示スペースがあり、南観音山の懸装品等が展示されています。 今年は、ここに昨年の巡行で使用されていた加山又造の原画による「飛天奏楽図」がここに展示されていました。昨年はここに上掲の下水引が展示されていました。 展示スペースの南側半分には、色紙絵や屏風代わりに団扇絵が恒例展示されています。 新町通の南から眺めた南観音山 さらに南へ。四条通を横断し新町通を南に入ると、 「大船鉾」です。所在地は四条町。 平成26年(2014)に、大船鉾が150年ぶりに復興されました。 昭和41年(1966)に後祭が17日の前祭に合同されることになった時以来、49年ぶりに、この年(2014)に後祭山鉾巡行が復活しました。 駒札 宵山では、町会所に御神体(人形)が安置されていて近くから拝見できます。 巡行当日は、鉾の屋形中央部に神功皇后、屋形前部に副将として住吉明神、艫部に操舵手として鹿島明神、舳先に龍神安曇磯良(アズミイソラ)の御神体(人形)が安置されます。(駒札より) 大船鉾の今年の舳先には龍頭が金色に輝いています。 前水引は「緋羅紗地波濤飛龍文肉入刺繍」。平成28年(2016)復元新調。 前懸は「緋羅紗地雲龍青海文綴織」。平成27年(2015)復元新調。 水引は渡来赤羅紗地に「飛龍に波濤の図」の刺繍 二番水引は綴織裂「翔雲文に散らし花文様の図」。19世紀、日本製 胴懸は、赤と緑の裁ち布が縫い合わされています。 新聞報道で知ったのですが、今年この鉾につけるたま(車輪)4輪が新調されました。 保存会によれば、直径2.13m、重さ685kgで、これまでの記録に残るものよりも少し大きいそうです。樹齢300年のカシのほかケヤキや鉄などを使用。カシの木の乾燥には約7年かかっていると言います。今年は白木のままで使用されました。来年以降には重厚に色づけされたたまを眺めることができることでしょう。(資料1) 南東側から 艫高欄の下部にはダイナミックな浮き彫りが施されています。 その下の艫高欄懸けは、刺繍裂で、渡来赤羅紗地に「飛翔鳳凰の図」。17世紀、日本製 後懸は真向龍が6頭描かれた図柄。綴織。 楫(カジ)は刺繍裂で、渡来赤羅紗地に「降り龍と波濤の図」 両面とも、降り龍が刺繍されています。 大船鉾の西側を見上げた景色 大船鉾復興以来、ほぼ毎年眺めてきており、少しずつ充実していく姿を実感しています。 はや10年の歳月が積み上がったのですねえ・・・・。 大船鉾から再び四条通を横断し、次は一筋東の室町通を上がります。 菊水鉾町の北隣が山伏山町です。山伏山へ行く時に気になっていた建物に少し立ち寄って見ました。 門を入ると、真っ直ぐ東方向に、「京都芸術センター」の表示が見えます。 この入口へのアプローチの側の記念碑をみて気づいたことです。 この建物、元は京都市立明倫小学校の校舎だったのです。平成5年(1993)3月に小学校が閉校となり、平成12年(2000)4月に京都芸術センターが開設されたのだとわかりました。 校舎がリノベーションされたのでしょう。 入口の手前の庭部分に、二宮金次郎像が目にとまりました。 室町蛸薬師の辻で、東方向を望むと山が見えまます。蛸薬師通を東に入りこの山へ。 「橋弁慶山」です。所在地は橋弁慶町。右の写真は反対側の東から撮った景色です。 橋弁慶山は、舁山(カキヤマ)です。舁山では唯一のくじ取らずの山で、後祭では先頭を行く山となります。 通りの北側、ビルの間に町会所の町家があり、その2階に、武蔵坊弁慶と牛若丸の人形が展示されています。 謡曲「橋弁慶」から取材され、弁慶と牛若丸の五条橋上での戦いの場面が再現されます。 1階も同様に通りに面した戸がすべて外されて、会所飾りがみられます。 座敷の中央に、山に搭載される五条橋が置かれています。 正面奥の壁面には、前懸の「藍地波濤に雲龍文様」綴錦。今年(2024)の復元新調。 向かって左側の壁面にも懸装品が懸けてあります。 手前は、富岡鉄斎原画の「椿石霊鳥図」綴錦。昭和58年から。今年は後懸として使用。 源河は清荒神所蔵の衝立だそうです。 奥側にある懸装品は私には識別出来ません。 橋弁慶山では、山の構造体をほぼそのまま見ることができ、「縄絡み」を撮ってみました。 この山では、荒縄の他に、通常のロープも要所要所で併用されています。縄の縛り方は比較的シンプルです。 この辺りで、一区切りとします。 この後、再び室町通に戻り、さらに北に上がります。 山鉾建ての位置図 つづく 参照資料 *祇園祭案内チラシ 2024年 *祇園祭 祇園祭山鉾連合会 ホームページ *図録『京都 祇園祭 町衆の情熱・山鉾の風流』 京都文化博物館 2020 *大船鉾 ホームページ *橋弁慶山 ホームページ 1) 朝日新聞2024年7月7日(日)記事「祇園祭2024 立派な『たま』初披露」 補遺 京都・祇園祭 南観音山「あばれ観音」[4K動画] 2024.7.23 京都新聞 YouTube 祇園祭-南観音山の名宝 2016年 :「京都文化博物館」 大船鉾の復元設計 末川協(再生研理事) 京町家再生研究会 :「京町家.net」 演目事典 橋弁慶 :「the 能.com」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝! (情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。 その点、ご寛恕ください。) 観照 京都・祇園祭 Y2024 後祭 宵山巡り -1 役行者山、鷹山 & 点描 へ 観照 京都・祇園祭 Y2024 後祭 宵山巡り -2 八幡山、北観音山 & 屏風祭 へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.07.28 00:20:09
コメント(0) | コメントを書く
[観照] カテゴリの最新記事
|