油断
悲しくてやりきれないのを越えて、そのあとにすぐ悲しみがきたらどうしたらいいのだろうか。落ちて昇り始めたら、次はきっとそのまま昇っていけると信じて疑わない。たとえほとんどが無宗教の日本人でさえこの瞬間はそういう運命の傾向だとか、神の力が働いていることを無意識に考えている。次に起こる不運なことは前の不運と何の因果もなく、ただ単独に可能性をもって起こることに過ぎないのに。そしてこの瞬間を狙われた時、いかに人間が隙だらけで脆い動物かということを思い知らされる。人と接触する機会がよほどなかったからか、ストレスが頭に溜まるのを感じることずいぶんなかった。久々だからといって、さすがにこんなものにまで感慨は感じられない。ただただ不快で、人と触れ合うことがこんなものを伴うのだと思い出すと、少し気鋭を削がれる気がした。寝坊して散歩が夜に回されてしまったことが今日はありがたく思えた。体を動かせば少しは気分も変わるかもしれない。そう思ったが、実際に少しばかしの救いをもたらしてくれたのは私自身ではなかった。バカな顔をした犬は夜に散歩すると、必ずちょっとした石垣の上にある草むらの上に寝そべって体を草に擦り付ける。最初やった時には腹でも壊してうずくまっているのかと思ったものだった。今日はどこか痒かったりしたのか、いつもより多めに草の上でもがいていた。あぁやるかな・・・と思った瞬間、期待通りに犬は石垣から滑り落ちた。お前はほんとにバカだなぁと言ってやると、何事もなかったような顔をしている。いつものように星の多く見える空だったが、今日はそれに加えて薄い雲が棚引いていた。ふと「お前は一人じゃない」だとか、「絆」だとか、妙に暑苦しい言葉が浮かんできた。相手が誰かなんてこの言葉は決めちゃいないのだから、あぁ違いねぇと思った。