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カテゴリ:一応正当日記風
言葉は行動を補完する。 また何わけわかんないこと言ってんだよ、と思ったでしょう、いま。 ・・・そう言ったのは養老盂司さんです。 ほら、とたんに説得力が増したでしょう。「なるほどっ」って思ったでしょう。 口で言っていることとやっていることが一致しなきゃいけないって言う考えがおかしいと思う。 ・・・そう言ってもらえると気が楽になりませんか。 で、さっきから何をうだうだ言っているかというと、実はワタクシいま、これにすがって、 つまり。 ・・・ 今日はライヴに行くはずだったのだ。 手帳にも赤字で書きこんでいた。新保さん(=仮名。以前にも登場してるが改名。改名に深い意味はありません)のバンドである。新保さんの登場日は他にもあったのだが、あえてこの日に的を絞って、節分ライヴを待っていたのである。 ・・・的を外した。 言葉と現実は一致しなかった。 不可抗力の事態、と言っていい(とまた自分を慰める)。だが・・・ ・・・行くって言ったのになあ。 これが外タレ公演であるとか、いや日本人でも、とにかく個人的には知らない人が出るのなら、別にここまでがっくりしないのだ。ヨーロッパまで行きながらレディオヘッドを見逃した私である(威張りたかないけど)。 つまり、そこに「申し訳ない」感は存在しないわけである。 うじうじ。 ばっかじゃないの? ・・・という声が聞こえてきそうだ。 はい、バカです。 実はこれ書いてるの、その日から早や数日後。気持ちもまあ落ち着き、そして途中まで書かれていた内容の体たらくぶりを見て、我ながら、いまさらながら、「ばか?」…と思いました。 あのまま公開しなくて良かったね、というくらいである。後悔先に立たずだからね(ま、消せるけどね。今の世の中は甘いのだ)。 そのバカさ加減の内容を吟味するとますます嫌になるのでやめておくが、 やめておこ。 しかしまあ、時折そういう、ダメダメうじうじ状態が訪れることがあるのですね。 言葉は現実を補完するものなのに、言葉と現実を重ねなきゃいけないと考えている人が多すぎる。 そう言い切れたら、楽じゃなあ~ 言葉と現実が一致するなら、どっちか一方は必要ない。 待てよ。これって、トノがしばしば口にするフィリピン人気質に通じてないか。 予定が予定として機能しなくてもいい(ように見える)世界。当日になれば予定はごく普通に変わったりする。誰も驚かない。幸せである。言葉と現実が一致しないのは時に実に幸福である。 うーむ。 危うく最後の一歩(一手か)を進めてしまいそうになった。 やっぱり、まずいだろう。ちょっとその時期は、あまりに予定が詰まりすぎ… しかし、うじうじが少し続くと、いきなりそういう方向で打開しちゃおうとする場合も、あったりするんだね… いや、今年は自分から仕掛けるなと星占いに。占い信者ではないが、こういうときはいい歯止めとして使える。 いやでもこれはべつに仕掛けたということには… 言葉も現実も未来もすべて破綻しそうな春であった。
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Last updated
2009.02.06 19:44:05
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