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カテゴリ:カラダ
「今日はレントゲン撮ります」 はい。 重たいエプロン着せられて小部屋へ。 「はい、では左の人差し指を、一本だけ出してください」その指でプレートを押さえて歯茎に押し付ける。先生が出て行く。 じー。 先生再び入ってくる。映像巻き戻し的にプレートはずし席を立ち鎧を脱いで外に出る。 席に戻って座っていると先生が写真を持ってくる。近頃は写真はすぐに出来上がるのである。 はい。 歯の根の先まですっと線が入っている。これが今日終わった歯根治療の証拠。 「で、この隣。これ虫歯です」 あ。ああ(納得する)。 「でこの歯を見ますと、隣みたいに線が見えませんね。もしかすると…」 ちゃんと治療がなされてないかもしれない、ということである。 うー。 この虫食った歯は右上の一番奥。この歯が噛み合わせるべき歯は、もはや存在しない。 「普通はしない」ことをされた歯があった部分だからだ。 とここで、「普通そういうことはしません」と断定された遠い昔の移植問題話に戻ってくるのですが。 が、遡る前に、ついでにちょっと。 この新たに虫歯と判定された歯だが、自覚症状あったのだ。かなり前から。(やっぱり本人の感覚というのは鋭いのである。) ひどく痛むわけではなかったが一応検査してもらおうと、実はこのときも歯医者に行っているのである。結構遠いところまで、わざわざ出かけていったのである。 だが虫歯は見つからなかった。そしてその先生はおっしゃった。 「で、ぼくはどうすればいいのかな?」 それは非常に難しい質問であったため、患者としましては、答えは見つかりませんでした。 その先生は「もうこれ以上いじらないこと、これ以上削らないこと」とおっしゃった。たしかに私もこれ以上歯を減らしたくはなかったし、この先生のおっしゃることは正しいと信じた。 すぐ信じるのが私のいいところであり悪いところである。 とにかく、これでまた治療する場所が増えたわけだ。考えてみれば、この虫歯は当たる歯がないので、痛みをあまり感じないままだったということもある。 そう、当たる歯が存在しないのである。・・・恨みがよみがえったりする。 ということでようやく話が過去に戻ります。 よく庭木の植え替えなどをした場合、きちんと植えてあげないと根腐れ起こすといいますね。 「挿し木じゃないんだから」とみんなからバカにされた私の歯にも、まさに同じことが起きていたのだ。 「すぐ植えればちゃんとつく」というのは、少なくとも私の歯の場合には、嘘だったわけである。 もっと早く、別の歯科医にかかっていればよかったのだ。 このときもレントゲン撮りました。証拠写真。 植えられた歯の根はみごとに膿んでいた。素人目にも異常はわかった。はっきりくっきり。普通わかんないだろう、シロートに。 腐っていたのである。 もはやこの歯は救いようがなかった(らしい。もしかしたら救う方法があったのか?と、歯医者不信に陥った私はあとでふと思ったりもしたが)。ご苦労様と言うか、わざわざ抜いて植えた歯をまた抜いたのである。 そして私は猿となった。 その先生の見解としては、いちばん奥の歯であるから、まあ抜けたままでも構わないであろう、と。これが歯と歯の間だと、ブリッジなり差し歯なりが必要だけれど。 ただ、美容的にはかなりまずいらしい。つまりこの歯は落ちていくというか、伸びていくのである。止めるものがないといい気になって助長するのは何でも同じなのだ。”歯止め”って言うくらいですから。 だがその点は先の懸案事項なのであって、この時点ではとりあえず救われた気持ちになっていた。何しろ痛みは消えたのである。 感謝した。同時に挿し木手術をしたあの医者には石を投げてやりたかったが。あの時点で訴訟起こしたら勝っただろうなー。実際、訴えるべきだ、という意見もあったのである。だが事なかれ主義というか面倒くさがりの親子はそのままにしてしまったのであった(うちの母はこういう場合、必ず止める。私がギャラをとりはぐったときですら、「交通事故にあったと思ってあきらめろ」と言った人である。ちなみにこのとき姉は「あたしが電話してやろうか!」と言った)。それってやっぱり、いけないことなんでしょうかね。 ともかくも、痛みと不安にあえぐ日々は過ぎて、平穏が戻ってきたのでありました。 もう今度からはこの歯医者さんにしよう、この人なら大丈夫だ、と全幅の信頼を置いたのであった。 だからすぐそう信じるなということである。 ・・・大丈夫ではなかったのだ。 そのため、歯医者遍歴はまた続いてしまうのだった。 ところでちょっとだけ現在に戻るが、この日私は鼻にバンドエイドを貼っていた。 先生は常識ある大人であるため、(訊いてはまずいんじゃないかな)と思ったらしい。診療がすんだあとでこちらから振ってあげたら(あげたら、ってこともないだろうが、気になってるだろうなと思ったのよ)、「どうしたんですか?」とおっしゃったので、PCに向かっていて仕事がどうもうまく進まなくて眠くてなんとなく落ち着かなくて・・・と、自分でも説明になっていないことを少々語ったところ、先生は珍しい生き物を見る目で――見る「ような」目、とつける必要もないほどに――しばし私をじっと見つめたのであった。 ・・・そうですよね、わかんないですよね・・・ うじうじ状態に陥っていたときに出会った養老先生のお言葉には、前にあげたのとは別に 養老先生は正しいのである。はい、自分でも自分のやってることがわかりませぬ。 さらに言うと、歯医者なら必ず歯のことがわかると考えるのも幻想である(たぶん)。 だが、今のこの先生こそは正しいと信じている私であった…
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Last updated
2009.02.10 11:06:40
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