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カテゴリ:一応正当日記風
蟄居中の身にとって、 唯一といってもいい楽しみ、 それはお風呂。 そして本日も私は安らぎを求めて そして一拍置いて(タメがあるよねあれね、ぜったい) うちのお風呂のドアはよくある、いわゆる蛇腹式というか蛇腹の一枚分式というか、 そのくもりガラスのドアを閉じた。 くもりガラスの向こうは… 風のなか、ではなくて(寺尾聰、なんて、若い方は知りませんよね…) クモだった。 気がつくとダイニングルームにいた(関係ないけど、こういうときどう表記するか考えますね。ダイニング、ねえ…)。こういうとき私はテレポーテーションが可能です。 くもりガラスから透けて見えた、紛れもないクモの姿。つーか、足。脚。肢。余計なアシ。 一瞬であれ、同じ室内にいたのかと思うと そーやって、陰から見てたんだ。窺ってたんだ。だから嫌いなんだよ。 梅図かずおの漫画にあったような・・・ 天井の隅から、下のいたいけな女の子をじっと窺う蜘蛛。あれはすでに蜘蛛女なんだっけ? 「なに、クモけ」 だがさすがは母である。わかっているのである。 「くも。」 と私は答えました。合言葉かクモは。 それにしても。 なんで? 年を経て面の皮は厚くなっても、どうしてもここだけは厚くなれない。 なんで、 私の前に、 出てくるんですか!! あんまりだ。あんまりだわ。 私の泣きたい気分を察する気配もなく、 「掃除機、持ってくる…?」 「ああ、そのほうがいいわ」と、振り向きもせずに母。 母は箒を掃除機の筒に換えてくもりガラスに近づいて行った。 くもりガラスの向こうでは相変わらず"しゃー" "シュー"と湯が噴き出している音。 前かがみに、のしのしと獲物に近づいていく母。ゴジラのテーマが流れそうな…(これはペンギンですけどね。まあ、ペンギンに似ていなくもない) ここで、あの、『サイコ』の、有名な場面を思い出していただきたい。 シャーッとシャワーの水音。くもりガラスと湯気の向こうにぼんやり浮かぶ美女の影。 ここではシャワーではなく湯船に噴き出す湯であり、 がーーー。(電源を入れたのだ) 老婆が戸をあける。 娘、外に逃げる。 がーーー。の音に混じって、母の声。 「どこにいんの?」 「あ、いたいた」 がーーーー。 「入った入った」 「え、ほんと?」 すごい! 早業。 「たぶん・・・うん、入った入った」 す、すごい。さすが老母。 一件落着。 すると・・・ ささささっ、と まさに梅図かずお大先生の描く蜘蛛女のごとく、 いったのだ、と言っても、もちろんその場に私がいたわけじゃなく(冗談じゃない)、 持つべきものは母である。 あー、喧嘩してなくてよかった。。。 と思った娘であった。 だがここで一縷の不安が。 普通に考えれば、おそらく母は私より先にあちらの世界に行く。 あくまで「普通に考えれば」であって、 その時私は、どうすればいいのであろうか。 『サイコ』みたいに母の即身仏おいといたら これは由々しき老後問題である。 一人暮らしの時も私はなぜか蜘蛛に好かれ ある時には大家さんが、自分の背より高い箒と孫を連れて退治しにきてくれたり ある時には友達が自分の背より高い虫取り網持って(ほんとです)やってきたりしてくれたが、 いくら友達だって、たがいに老人になったらわざわざ呼ぶには忍びない。 目が悪くなって、蜘蛛の存在も見えなければ問題ないのか。 そう、そうそう。つまりは、 私の前に出てこないでいてくれたら、それで万事丸く収まるのです。 でなければ、百歩譲って、蜘蛛はすべからく巣を張り、そこだけで暮らしていてほしい。 さすれば無駄な殺生もなくなる。 私だって自然との共存を望んでおる。 だから出てくるな。 金輪際出てくるな。 とくにあの、想像するだに恐ろしい、手のひらサイズのクモ。 その無駄に多い肢。無駄に長い脚。 必要ないでしょうが。 ついでに言うと、その無駄に長い/多い、肢の同族の方々、 出てくるな。出てくるな。私の前には出てくるな。 この季節、越前ガニ水揚げとかいうニュース、あるでしょ。あの映像ね、捕まったばかりのカニね。 ・・・連想する。 しかし私、カニは嫌いではありません。 そもそもカニは目の前に出てきても、こっちに飛びかかってくる不安はないものね。 そしてこの晩私は、サイコの美女のようにおそれおののきながら、お風呂に入ったのでありました。
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Last updated
2009.12.01 13:05:26
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