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2009.11.07
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カテゴリ:八面六臂星人

旗10月xx日の日記旗

星種田陽平は天才ではなく努力・努力・努力の人なのだ

と、種田氏とながーい/ちかーい、付き合いの人が言った。

本人もそう言っている、と言った。

その人は種田氏のあまりに身近な存在であるため、
身内ならではの謙遜しかできなくなっているとも思われ、
本人は「天才」といわれることへの謙遜あるいは反発があるとも思われる。
あるいは謙遜でもなくて、
目指すレベルが高いから、自然とそういう言葉が出るのかもしれぬ。

だがそもそも、努力を重ねられるということが天才を生む種だ。
種田氏だもの…パンチはい、まじめな話でした。

よく言いますわね、天才とは9割の努力と1割の才能。
「天才」と呼ばれる人とは「同じことをずっと続けていられる能力」を持っている人のことだ、と、たしか村上春樹センセイも書いていたと思う(いや、「天才」と呼ばれた村上センセイが、自分にあるのはそういう能力だけだ、といったのかもしれない)。

とはいえ、同じことをずっと続けるには体力がいるのである。本当です。
体力は気力が連れてくる、というユーミンの言葉も真実だとは思うが、
それは最終段階の話である(ような気がする)。最後は誰しも火事場の馬鹿力頼みになるのであります。

精進、根気、集中力。それすなわち体力。身にしみて感じるワタシである。
夢中になれる、なりきれる能力。寝食忘れて続けられる能力!

その才能が私もほしい。食事を忘れる能力がほしい。
何より、寝ないでいられる能力がほしい。
そこで差がつくという気がする。
なぜならば、私の周りの八面六臂星人たちに共通すること、
それは寝ないでいられるということ。

さらに言えば、「どこでも眠れる」能力を持っている、ということ。
まあそれほどまでに疲れてるともいえるのだろうが… 
でも疲れるまで続けられる体力があるってことでしょ(しつこいが)。

たとえばこの日…この日というのは「種田陽平さん講演会とサイン会」だが(そう、行ったのだ!)、種田氏は前日に台湾から舞い戻ったのである。台湾で撮影される映画のためだ。
セーダッカ・バライ Seediq Bale』という、相当な大作であるらしい。完成はまだ先、2011年とのこと。(この作品の監督であるWei Te Shanの『海角7号』という作品が来年冬に公開予定だそうです)

そしてこの講演会が終わるとすぐまた台湾に。
台湾といっても台北とかじゃなくて、台中(関係ないが、ラニの実家は台中である。関係ないが、ちょっと嬉しい)。楽じゃない。

おそらく本人は相当疲れていたのだろうが、講演中はそんなそぶりも見せなかった。
やはりタフである。

この日、友達と私がブック1stに行くと、すでに若者(やはり若者が多い。。。)が並んで待っていた。むろん『どこか遠くへ』を小脇に抱えてである。

書店内の喫茶コーナーの奥に部屋があって、そこに隠れるようにして講演。
なんかちょっともったいないな、という気がしないでもない。ブック1st自体は、すごく素敵な本屋さんって感じしたけど(ウィルキンソンのジンジャーエールも置いてあったし! …とはいえ、最近じゃ結構あちこちに出没してるらしいウィルキンソン。生姜好きのみなさん、絶対これはいいです)。こういう本屋がうちのそばにもあったらなあ。

今日のお題は当然ながら、新刊『どこか遠くへ』である。が、やはりそこは美術監督なので、これまでの作品の写真なぞも見せてくれたりする。

ひえ、『スワロウ・テイル』って、もうこんな昔!
思わず過ぎ越し昔を振り返ったりする。
映像の力というのは強い。映画や絵の記憶というのは、自分の記憶と一緒に残る。
同時に、これは音の力もそうだけど、瞬発力があるのだ。
音や映像はじかに飛び込んでくる。

ここが書き言葉との違い。文章の辛いところ。
まずはあちらが読みだしてくれないと始まらないわけでね。まず読み手を能動態にさせないといけない。

だがまあ読みだしてもらえれば、文章には文章にしか与えられないよさもあるわけですが。
今回の種田氏の「絵本」は、その両方が混ざってるわけだ。お得ですね。

「少年時代」なのである。
少年時代、というと、やはりいまだに「少年の夏→虫取り田んぼ水遊び、明るい太陽、夏祭り」になる感があるが、

そういう少年は出てこないのである。

井上陽水の歌う「夏模様」の「少年時代」でもなく(それも好きだけど)、
椎名誠の描く「黄金時代」でもなく(これも好きだけど)、

もちろん、ひと頃しきりにもてはやされた(が、あっという間にこれも下火になった感じね)「古き良き昭和」邂逅でもない。
ご本人も講演で言っていたが、昭和礼賛にはとにかくしたくなかったのだろう。その気分はよくわかる。

昭和の時代が別によかったわけじゃない。
少年時代も別によかったわけじゃない。

これまたご本人が冗談交じりに言っていたが、
この本は「暗い」のである。

この暗さ、この影は、種田氏の本業にも通じる要素という気がする。

もともと日本人には大切であったはずの「暗さ」を、
一貫して伝えてきてるのが彼の良さの一つでもあるような気がする。

最近見直す動きが出てきているように思えるのだけど、
一時はそこらじゅうがとにかく明るく明るくなってしまい、
そしていったんやたらに明るく、すかすかに光ばかり通るようになってしまうと、
もはやそれが基本線になってしまって、おそらくもう、日本人の感覚も違ってしまっているのだろう。

でもここにあるのは、それ以前の感覚。

おぼろである。曖昧である。あやうい感覚。

雲隠れに月が出て、空に林檎が引っかかってても、
赤く輝く太陽はない。

実はこれを見て、ほっとする人が多いのではないか。
こういう時代だけに、救われる人がいるのではないか。

とくに、いま「子供」でいる人たち、居場所ないなあ先がないなあと思っている若い人たちは、
(ああ、これでもいいんだな)と思えるかも。

暗くてもいいんだよ。

暗くても先はあるんだよ。

それは私自身がほんと感じることだが、出口がない、と思っても、
実は道があるんです。抜ける道はあるんです。

帯の文で、松たか子さんが”優しい世界に誘ってくれます”と書いているけれど、
むしろここに描かれているのは“怖い世界”に思える。

でも、怖い世界は優しい世界につながっているのかも。

すでにこの続編ができているのだそうだ。それが世に早く出てくるかどうかは皆様次第だそうである。来年、出ちゃうかも。

余談ながら、この日数年ぶりの友人に会った。
すると私は「今までにないほど元気そう」、だそうである。
うん、たくましくなったから… はかなさを失うことは、同時にちょっと悲しいことでもあるが…(--;)

だからね、重ねて申しあげるが、いま悩んでいる若い人々は、先を見ましょう。
先は続いているのだよ。

 

 

 

 

 






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Last updated  2010.01.10 18:32:07
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