やっぱりこうして正月も過ぎてしまうのでした。
だが予測と違って箱根駅伝復路も誘惑とならず。
やはり年齢とともに物事にのめりこめなくなるのか。
昔は高校野球、必死になって全日程フォローしてたものなあ。
あの熱意が今やない。
まず高校球児が遠い存在になり、そして駅伝を走る大学生が子供に見えてくる。
ああ若さがまぶしい。
その若さの真っただ中にある甥っ子が、母である姉とともにやってきた。
というより姉を連れてやってきた。運転手役である。
実際、よく来るよなと思う。姉に言わせると「初蹴りより小遣い」だそうだが(甥はサッカーをやっていて、3日が初練習だったらしい)、本人が来なくても金は届く。
私らの世代であれば、女の子はともかく、男の子なら
遅くとも高校の段階で親と一緒に行動などしなかったように思う。
だが今の子は違うらしい。
友達の話を聞いてても、今って親子仲いいものね。。。(いや、極端なのだ、という話も聞くが…三段階かな。溺愛か友達親子かネグレクトか。。。?)
それにしてもまたでかくなった。
前回会ってから半年は経ってない気がするんだが、また背が伸びた気がする。
顔もなんだか細くなって、大人びたような。着てるもんもおしゃれだし。いまどきだよな~
チェーンまでぶら下げておる。このペンダントヘッドの意味はおばさんにはわからなかったが。
それにしても…
…若い。
おばさん、ちょっとあわててしまうのであった。(だいたい、近頃こんな若い男を間近で見てないし…)
かつて10歳年上のいとこのお兄さんに、しみじみ「いいなあ、若くて」と言われたのを
思い出す。その気分を実感する時は誰にもやってくるものなのだ。
そして若さは残酷なのである。いやオトコが残酷なのか。
甥のお父さん、つまり姉のだんなさまは、周りが女性ばかり=お母様と姉上と妹君。
この三人がそろいもそろって美人なのである。
翻ってこちら…
だ、だけど、私は義姉さまのご主人に、若いころの義姉さんに似ていると言われたのである(かつて、だが。それに、自分で言うのはなんだが、本当はそのいとこのお兄さんは、「xxちゃん(私だ)、きれいになったなあ」と言ったのである。
私を知っている人、(ま~た、嘘ばっかり)と思っただろう。
悔しいが、それに反証するすべは、今の私にはない…
誰でも若さがあれば、ある程度どうにかなる、ということだ。
だがある人はどこかで崩れ、ある人はどこまでも崩れない。その差はどこにあるか。
まずは骨格(=輪郭)、そしてそれ以上に、日ごろのケアである、と、
聞くでもなく聞いている甥(残酷な若者は、彼の母、つまり私の姉がたの親類の女性は、一人の例外――これはほんとに例外中の例外、だれが見ても美人――をのぞいてあとは「イモ」だと断言した。否定できないのが悲しい)を横に、女三人で結論を出す。
昔は私も、母がこうなった(-_-;)のは、父に優しさが足りなかったせいなんじゃないかと
思ったこともあるが、
…違う。
自己責任。(こういう時にこそこの言葉を使おう。)
その自己責任を全うする気がない性質が遺伝した娘二人。
いわゆる「美人」とか、お肌がいつまでも美しい人とか、
そういう方々と何度か旅をした経験により、これは確信に近づいた。
なにも毎晩高級クリームを塗りこむとか、そういうんじゃなくて(いや自宅ではそういうこともしてるのかもしれないが)。
ちょっとした気配りが違うのだ。D師もおっしゃっておりましたな、自分にpoliteであれと。
肌に触れる指先が優しい。
まあね、大事にする価値があると思えれば、扱いも違ってくるとは、思うけどね…
一方、たとえばわが母の顔の洗い方。
先だって『ためしてガッテン』で、こするとシミの元、と言ってたが、まさに納得する。
嫁を見定めるにはその母を見ろという話も聞くが、これも納得する。
あ、いや、お義兄さんが失敗したというのではなく… 顔がすべてじゃないですから。
あれ、失った若さの話ではなくて、若者の話をするはずでした。
でも失って初めて気づくことって多いわね… いまさら嘆いてどうなろう。
大人になったとはいえまだまだ未熟者、アホな甥は、個人情報を母親に抜き取られていることを知らない。
ここ何年か、「彼女」の存在を嗅ぎつけていた姉は、昨年見事に証拠写真を入手したのである。さらに証拠物件も発見。
んま~、今の子って、オープンね… (まあ仲間うちでは、ということだが)
と、その写真を見て(そうなのだ、母親は入手情報を漏洩しているのである…)思いました。。
それともこれは世代差じゃなくて個人差だろうか。
でもここまで開けっぴろげなら、親にも紹介すればいいのに。
その辺、やはりいまだ鎖国日本的というか欧米とは違うわねというか。
そしてこの甥っ子兄は大学生で、甥っ子弟は今度受験だが、
どちらもこの先の進路は何となく定まらず。
これについてはおばさんもどうのこうの言えた義理じゃない。
が、弟のほうは受験目の前でも危機感がないらしい。
焦るには焦るけど、突き詰めて焦らないらしい。何にも考えてねえ、とは兄の弟評であるが。
それに対して、とってもよく考えていそうな若者が、昨年の菊池雄星くん(高校野球フォローしてないと言いながら、こういうことは目についたりする)。
そう、この雄星くんの話をそもそも書くはずだったのだ。だから今回タイトルが「その2」なのであります。
"価値観を変えたくなかった"
…!…
凄い。18,19でこの言葉。
なんてしっかりしてるんだ。
"誰もやっていないこと"だというだけで飛びついていいのか、と。
今の若者は偉いなー、と、すぐ感心するおばさんはここでも感心しきりとなっていたのでした。
石川遼選手といい、最近の子はまるでおちゃらけてないし、常に居ずまい正し、って感じだし(タイガー・ウッズにならないでね…と、ちょっと心配したりもするけど)。
立派だなあ…と、年末までは新聞の切り抜きすらとっていた私だが
(大掃除はしなかった私だが、これは年末ごみとなって去っていった)、
年が明けたら、この雄星くんの決断を「いまどきの、賭けに出ない若者」の例としている記事を見た。危ない橋は渡らない、無謀なことはしない。
夢に賭けるなんてバカなことはやらない。
…ふむ。
たしかにそうとも取れる。
実は周りの意見を気にしてたんだ、とされれば、それもそうかもしれない(おばさんなんか、いつも周りの目を気にしてばっかいますわよ)。
いいとか悪いとかじゃないが、時代が変われば人も変わるってのはやはり面白い。
それに、書きようによって、伝わり方も見事に逆になるというのも面白い。
こないだ―って、昨日か―ネットで"お仲間"的人々を見つけたことでもそうだが、
ああいうのはちょっと嬉しいし、この場にいながら世界が広がるという点では、
とても素晴らしいことなのだが、
反面、外に一歩も踏み出さずとも済ませてしまえて、
そして自分で実際に確かめないままになる、という点では、
かなり怖いことでもある。
今の子たちが未知の世界にいきなり飛びこもうとしないというのは、
飢えていないせいでもあるし、無駄も無理もしないほうを好むってことなんだろう。
それもある種の進化かもしれない。
相変わらず無謀な旧世代としては複雑な気分になったりもする。
ところで私、駅伝は見なかったが、『龍馬伝』は見た。
なかなかいいではないか~
そうです、「憎しみからは何も生まれない」。
ウィットウェル師の言葉みたいだな。ヨーガとリョーマ
そして次回のタイトルが「大器晩成?」だというので、
「xxちゃん(甥っこ弟)も大器晩成かも!」と姉にメールしたが、
返事はなかった…