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カテゴリ:雑記
これまたしつこく去年のやり残しなのだが… 脚本家の内舘牧子さんのエッセイにはときどき、いやしばしば、 だが動機がふたつ重なればやる気も増すというもので。 以前、種田陽平さんの新刊『どこか遠くへ』を紹介したときに、 そしてこの本は、井上陽水の「少年時代」ではない、と書いたのである。(実はここで歌詞の引用も間違えていたのだが――つまり二重に間違えていたことになる――そこはいま、ひそかに消去しました。どう間違えていたかは内緒である。そのくらいは許してくれ。) 考えてみれば井上陽水という方が、子供時代をすんなりと、「顧みるべき麗しい昔」と位置づけるはずもないのである。 好きなのであるのに、なぜここで誤ったか。 映像だ。 種田氏も関わっている、その映像の力である。 この「少年時代」は、たしかCMで使われたはずだ。さらに映画にも。…また間違えると嫌だから検索してみたら、たしかに映画主題歌であり、CMには何度も使われている。… それでバイアスがかかったのだ。やられた。 内舘さんはご自分の「勝手な解釈」としているが(そもそも詩は受け手が勝手に解釈してよいものだけど)、これはなるほどと思った。 つまり井上陽水「少年時代」は、"昔日の感傷を歌ったものではなく”、 とするとこれはむしろ、種田氏の絵本と相反するどころか、むしろ通じるものではないか。 人生は花火みたいに儚かった、といつか思う日が来るはずだけど、 種田氏の『どこか遠くへ』にも、巻末に怖い言葉が引かれている。 少年時代は過ぎ去り、それを八月の花火だったと気づいたときにはその人自身も消えつつあり、 「少年時代」は暗くて怖かったのである。 ***
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Last updated
2010.01.10 20:26:28
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