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2010.03.14
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カテゴリ:雑記

お墓参りに行ってきました。

今日は友人の命日で、彼女の妹さん(今では彼女が私の友人である)と一緒に。
彼女のご両親もうちの父も同じ墓地なので、
二人で行くと墓参りツアーと化すのである。

車を出すなり彼女が、伯母さん(お母さんのお姉さん)が急に亡くなったのだと言った。

その伯母さんという方は、インド人と結婚してデリーに暮らしていた。
インドから戻ったばかりのこちらはいささか驚いた。しかも先月12日というから、
まさに私がデリーに到着した日である。

私はその伯母さまと話したこともないし、
そんな偶然が何を意味する訳でもあるまいが、

。。。それでつい、芋の蔓が引かれてしまったのである。

インド行話の間は”(笑)”が基本、こういう話を挟むつもりじゃなかったんだけど、

すんません。ちょっとここで小出しに吐いてしまいたくなってしまった。

こんなきっかけがなきゃ、最後に「付記」で済ませるつもりで、
そしてもし今回も中途で話が消えたらそのまま一緒に流そうというつもりでもあったのだが。

今だけ、ちょっとだけ、マジ。

自転車の鍵をなくした昨日、私は友人とタイ料理を食べてから
ある飲み屋さんに行った。

そもそも目的はそのバーのほうで、インドから戻ったら行きましょう、と、私の出発前に約束していたのである。

めぐりめぐって知り合った和尚(前にもここに登場させた気がする)ゆかりのバーで、
私はここに和尚が来てるとき以外来たことがない。
タイで出家したお坊さんゆかりの場所へタイ料理を食べてから行ったわけだが、
そもそもこれはそうなるはずじゃなくて、目指したおでん屋が休みだったのだ。

そして和尚にも――というよりむしろ私に、かもしれないが――そうなるはずじゃないことが起きた。
そのせいで、夕べの私は行きたいけど行きたくないような気分になっていた。

和尚がいないそのバーに行くのは初めてだったが、
この先和尚がここに来ることもない、というのを確かめるような感じになるのが嫌だった。

和尚は私がインドにいる間に亡くなった。

・・・書いちゃった。
文字に示すとますます事実が事実として確定する感じだね。

ちょうどリシケシでトレーニングが終わった日、一息ついてメールして、
その返信で知ったのだった。

そこのネットカフェはガンガーのすぐそばにある。

和尚は前から、死んだら遺体はガンガーに流してもらうんや~ と言っていた。

今回私が行く前も、インドいいなあ、わしはもう行く体力ないわ、と言うから、

何言ってんですかそんなあちこち飛び回ってるくせして~、和尚はまだまだ大丈夫だってば!

と言ってやった。本気でそう思っていた。

その時も、俺が死んだらガンガーに流してもらうんや、というので

はいはい、わかってますよー 
私もガンガーに流されちゃったら引き取り手は頼んでありますよーといなした。

ガンガー目の前のネットカフェで訃報を聞くことになるなんて、
あまりに話が出来過ぎだった。

Nさんからのメールをもらったのはトレーニング終了後の日で、
偶然ながら、私は仕事あるのでたぶん1日オフにします、と
Rajさんに言ってあった。
これまた好都合に出来たことだった。その日クラスに出てたら、
Rajさんがよく言う「頭が日本に行っている」状態になってたにちがいない。

そこまで仕組んでくれたなら、和尚が逝くのもやめさせてくれたらよかった。

いつもは橋を渡って帰るのだが、その日は船に乗った。

やっぱり茫然としていた。
ちょっとあんまりじゃないですか和尚。

そして夕べ、帰国後すぐに和尚がいないことを確認するようのは
ちょっと怖い気もしていた。

和尚がいつも座る席は(当たり前だが)そのままそこにあった。

カウンターには見覚えのあるマスターがいた。
何度も友人に「いいんですか、話しなくて」と促されたが、話しかけられずにいた。
3杯目を頼んだときにまた「声かけてみたら」と言われたので、
「ん、じゃあ飲み物来たら…」。

それで、ドリンク運んできてくれたとき、
「和尚のお葬式いらっしゃいますか」と訊いてみた。
いきなりそういう質問もどういうもんかって気はするが
ご愁傷さまでしたとか悲しいですとか、そういう普通の言葉が出てこなかったのだ。

そもそもここのマスターというのはお坊さんなので、
そういう変な問いかけでも動揺はしないのである。
淡々と、最期はあっけなかったけど、本人はわかってたのかもしれないですね、と言った。
マネージャー役としてずっとそばにいたNさんも、同じことを言っていた。 

淡々としたマスターが、
「Nさんはむしろ淡々としてましたね」と言った。
結局、和尚の本当の状態がわかっていたのはNさんだけだったのかもしれない。

「4月にお寺でまたお会いしましょう」と坊主マスターに言われて店を出た。

話せてよかった。来てよかった。少し納得できたような気がした。

タイの葬式は明るいんじゃ、と、和尚は言っていた。
和尚もやっぱり、生まれ変わるつもりでいたのかな。もうこの世に戻るのは嫌かな。

私は知り合ってまだ短かったけど、知り合えた幸せのほうを思うべきなんだろう。 

だけどやっぱり和尚、反則だよ… 

ガンガーの水を汲んでみた。それを持って帰れないかなと思って失敗したのは
またあとで書くとして。

今日、お墓参りで伯母さんのことを話す彼女も、淡々としていた。
お母さんを54歳で亡くし、お姉さんをもっと早くに亡くし、家族全員を見送ることになった
彼女にとっては、これも受け入れるしかない出来事の一つなんだろう。

私がインドで和尚の訃報を聞いたとき、別の意味でちょっとぞっとしたことがある。
今日が命日だったその友人の訃報を、私はイギリスで聞いた。
彼女のお母さんが亡くなったのは私がアメリカにいたときだった。

そんなん関係ないわ、と和尚なら言うだろう。

だけど実のところ、今回そのことが頭をかすめたのは事実だった。
インド行きを一度延ばしたのも、そのジンクスめいたことが主な理由だったと言っていい。

だが・・・ その時も今回も、その根拠のない不安が向けられていた対象は、
和尚ではなかった。

和尚なら大丈夫だと、病気になんか負けないと、
付き合いが深まるにつれ確信するようになっていた。

実際、和尚の死因はその病気ではなかった。

ずるいよ和尚。

諸行無常とはこういうものです、とNさんのメールにあった。

だけど私は、やっぱり私は馬鹿だなあと、改めて思うしかなかった。

しんみりすると和尚は笑うだろう。おまえな、いま泣くなら、生きてるときにもっと優しくせんかい。

だから馬鹿話に戻ります。そう、泣いてるだけじゃ(泣いてないけどさっ)和尚が死んでも報われないもの。

これ公開したら後悔するかな(はい、しゃれです)・・・

そしたら消せるのがブログのいいとこだ。

 






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Last updated  2010.03.15 09:24:34
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