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カテゴリ:鈴木大拙氏
この橋を渡ったら浄土かどうかという、それは学者の言うことで、 信心の人はその橋が自分を渡すだけの力があろうが、なかろうが、 そんあことを詮索立てずにただわたれというから渡るのです。 引用:無心ということ P.15 著者:鈴木大拙 所見:理屈を離れてみると、発見ばかりです。 正確に述べれば、発見しかないのです。 理屈とは誰かが、 「そういう見方もできるよ」という一例を示したにすぎません。 見方はいろいろ。 いろいろな見方ができるから面白い。 言わば、この所見も、一例にすぎません。 これしかないと決めてしまうことは、理屈と同時に、窮屈と言います。^^; お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.18 15:55:39
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