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Anti-Christianのバイブル研究

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Aug 3, 2013
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意外と大人気のこの企画(?!)
そのうち、マジで本でも書いてみようかと思えるから不思議。
こういうのを きっと 思い上がり、って言うんだろうねw

待っている人がかなり多いから、ちょっとペースアップして書いていこうと思うよw


さて、今回は「復讐と呪いの神YHWH」という題。
前回告知したように、ここからかなり厳しめの言葉が乱舞するので、そこんとこよろしく。
では、行きます。



YHWHはクリスチャンから、いや人々から「義なる神」、「博愛の神」と呼ばれるに相応しい神なのだろうか?クリスチャンは上記の麗辞をよく口にする。
しかし、旧約をよく読むと、YHWHは現代人が見ても到底納得できない逸話が数多く登場する。
神学校で習う、YHWHを表す言葉の一つに「脅迫の神(God of intimidation)」というものがある。
この言葉の通り、YHWHは実に暴君であると評価しても良いのではなかろうか。
例をいくつか挙げよう。サムエル上を見ると、YHWHはアマレクとの戦争で次のように命令する。

行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。(サムエル上15:3)

YHWHは「子供も乳飲み子も」見境無く殺せ、という実に残虐な、呪われた命令を下す。サウルはアマレクに打ち勝ったが、アマレク人を殺す事より略奪する事に重きを置き、牛と羊は殺さずに略奪してきた。これがYHWHを怒らせ、命を背いたサウルに対して預言者サムエルを通じ、彼が王位から退く事を予言させる。
他のも見てみよう。

サマリアは罰せられる。その神に背いたからだ。住民は剣に倒れ/幼子は打ち殺され/妊婦は引き裂かれる。(ホセア14:1。口語訳では13:16)

聖書の章が変えられてる(改竄されてる)事はこの際目をつぶろう。本文を見てみよう。
サマリア地方の人がYHWHに背いたからと言って、幼子を殺すまではまだ理解しよう(?)。妊婦の腹の中の、生まれてもいない赤ん坊を殺すとは何事だ。
赤ん坊を殺すのは他にも有名な場面がある。クリスチャンならよくご存知の、出エジプトの逸話である。
出エジプト11章を見ると、数々の災難にもめげず(?!)ユダヤ人を解放しないエジプトのファラオにYHWHはとても苛立っている。(持ち前の奇跡でファラオの心を改心させない辺りが実にYHWHらしい)そして、その最後の災難がファラオだけではなく、エジプト中の全ての人・家畜の初子を抹殺する、という暴挙に出る。初子が成長していない家も多々あっただろう。天真爛漫な、ユダヤとエジプトの関係など全く知らず、それらに何の関係も無い子供らを、ただ「見せしめ」で殺したのである。
全エジプトが泣いた。ファラオはこの涙に打ち勝てず、ついにユダヤを解放する。

100歩譲って、大人はまぁ事情が分かるし、実利的なものもあるからいいとしよう。
子供に一体何の罪が?家畜に一体何の罪が?これはなんの虐殺なのだ?なんで子供が犠牲にならねばならないのだ?ただ、敵対的な異邦人を抹殺しようという陰湿な呪いに他ならないではないか。
この「何故子供を殺さねばならなかったのか」と言うのは、出エジプト20章でYHWHがモーゼに与えた十戒を見ると鮮明に浮かび上がる。

(前略)あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし(出エジプト20:5。前略部分は前の戒にかかる部分なので省略)

現代では赤ん坊も一人の人間として扱うが、古代の慣習の中には「連座制」というのがあり、罪人はその当人のみならず、その家族までをも抹殺し、いわゆる「お家断絶」状態にするという法があった。聖書の中のYHWHはその古代人の思考から抜け出せない、現代から見ると非常に時代錯誤な姿を曝け出しているのである。
(当時の慣習うんぬん、というクリスチャンの反論が予想されるので先に言っておくと、それを主張するならば、聖書の言葉が現代でも当てはまると言う言葉を取り消すべきであろう。都合よく「これはいい、これはダメ」というのは理論的に話にならないのだ)
他のも見てみよう。こんなもんじゃないのだ、YHWHは。異邦人に対してのYHWHの呪いは終わるところを知らない。

あなたの中からならず者が現れて、「お前たちの知らなかった他の神々に従い、これに仕えようではないか」と言って、その町の住民を迷わせているということを聞いたならば、それを尋ね、探り、よく問いたださねばならない。それが確かな事実であり、そのようないとうべきことがあなたたちの中で行われたのであれば、その町の住民を剣にかけて殺し、町もそこにあるすべてのものも滅ぼし尽くし、家畜も剣にかけねばならない。分捕り品をすべて広場の中央に集め、分捕り品もろとも町全体を焼き払い、あなたの神、主に対する完全に燃やし尽くす献げ物としなければならない。その町はとこしえに廃虚の丘となって、再び建てられることはない。(申命記13:14~17.口語訳では13:13~16)

あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。ただし、女、子供、家畜、および町にあるものはすべてあなたの分捕り品として奪い取ることができる。あなたは、あなたの神、主が与えられた敵の分捕り品を自由に用いることができる。このようになしうるのは、遠く離れた町々に対してであって、次に挙げる国々に属する町々に対してではない。あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国の民に属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。(申命記20:13~17)

異邦人の男は皆殺しにして、女と財産は略奪せよ、という、実に愛と義に満ちたご命令である。
しかしこれは、前出の13章にある「そこにあるすべてのものも滅ぼし尽くし」と矛盾するではないか。ようするに、異邦人(男)を殺した後は略奪しようが燃やし尽くそうが、好き勝手に解釈してよいのだ。なんと便利な神なのだろうか。

同じようなのは他にも多数である。申命記7:1~5、同13:7~10もそうである。
この箇所は「他宗教を信じる者は皆石で打ち殺せ」というものである。この箇所は、クリスチャンが他宗教を誹謗中傷する事の「正当化」によく使われる。
そもそも、こう言った残虐行為はYHWH自らが陣頭指揮を取り、直々に下命しているのである。(士師記6:25、歴代誌下34:7、申命記7:16なども参照しましょう)

ヨシュア11:6~14を見るとさらに厳しい。カナーンに入るという大義名分の為に他民族を滅亡させる件である。「息のある者は一人も残さなかった」とは、まさに圧巻である。
これらに相関する場面を見てみよう。申命記19:1やエレミヤ19:9が代表的だろう。

彼らの敵と命を奪おうとする者が彼らを悩ますとき、その悩みと苦しみの中で、わたしは彼らに自分の息子や娘の肉を食らい、また互いに肉を食らうに至らせる。(エレミヤ19:9)

エレミヤ18章、19章を見ると、エレミヤがYHWHに「どうか恨みを晴らして下せぇ」と祈ったのに対して、YHWHはこんなにも道徳的な呪いを賜ったのである。愛の神、義の神、全知全能の神にしては随分と「他の方法を考えない(考えられない)」偏執的な神であろう。

特に恐ろしいのは申命記28章に他ならない。YHWHの呪いの最傑作であろう。
申命記28章では、実に心の狭いYHWHが「自分を信じない人」に対して遠慮のない呪いをかけまくっている。字数の都合上、簡単に要約してみたい。
申命記28:15~69での呪いは次の通りである。
町にいても呪われ、野にいても呪われ、肺病、熱病、高熱病、悪性熱病、干ばつ、黒穂病、赤さび病にかかり、目暗になり、婚約者が他の男にレイプされ、悪質な腫瘍が全身に広がり、敵の奴隷になろうとしても買う人もなく、皿も呪われ、子供や穀物や家畜も呪われ、帰っても呪われ、出て行っても呪われ、死体は獣に食われ、種を蒔いてもイナゴが食べつくし、穀物を収穫しても他人が食べつくし、子供を産んでも捕虜として連れていかれ、自分の子供を食べつくし、子供の肉をも独り占めし、生まれたばかりの赤ん坊を密かに食べ…
内容が長すぎるので要点のみを簡略に言ってみた。実際はもっと長く、もっと詳しい。
これが「ウソだ」と思う人、もしくはYHWHの呪いをじっくり鑑賞したい人は今すぐ聖書を開いて申命記28:15~69を見てみよう。ウソかどうか。
YHWHは一頻り呪いをかけると、次のような麗句(?)で締めくくっている。

主は、かつてあなたたちを幸いにして、人数を増やすことを喜ばれたように、今は【滅ぼし絶やすことを喜ばれる。】あなたたちは、あなたが入って行って得る土地から引き抜かれる。(申命記28:63)

「滅ぼし絶やすこと」が愛であり、義であるとは さすがである(嘲笑)

士師記20:23を見ると、兄弟同士での戦いをYHWHが奨励する。和解でもなく、許しでもなく、気に入らなければ全て殺戮するのがYHWHの本性なのである。異邦人を「殺すべき相手、赤ん坊までをも殺し滅亡させるべき相手」とみるYHWHは、彼ら(クリスチャン)が断罪して止まないバアルよりも道徳性に欠ける悪神・雑神である。これらは、本当に「愛・義・全知全能の神」と言われるような存在の言動なのだろうか?それに相応しい言動なのだろうか?答えは否である。

他宗教だけに留まると思ったら大間違いである。レビ記20:27を見てみよう。口寄せや霊媒などの土俗信仰をも殺せと言っている。恐山のイタコさんたちはいい迷惑である(笑)

民数記15:32では、安息日に薪を拾った、という理由で死刑になっている。わずかこれだけの事すら赦せずして、何が「愛」で何が「義」なのだろうか。

列王記下2:23~24では、YHWHの使い(エリシャ)に対して「や~い、ハゲ!ハゲ!」とからかった「小さい子供」がYHWHの呪いにより42名も殺されている。小さい子供のちょっとした冗談も赦せない愛とは一体何物か。

サムエル上6:19では、70名がYHWHに殺されている。以前 戦争で勝ったペリシテ人がYHWHの「主の箱」を手に入れたが、YHWHによる災難に勝てず、この箱をユダヤに返還した。ベト・シェメシュ地方のユダヤ人は大層喜び、生贄を捧げて崇めたのだが、箱の中を見た、というだけで見せしめに70人を殺したのである。

歴代誌上13:9~10では、牛が暴れたのでYHWHの箱が落ちそうになり、これを防ぐために箱を支えようとしたウザが殺されている。罪名は「箱に触れたから」だそうだ。そのまま地面に激突して箱の蓋が取れてたら、今度はその場に居合わせた全員が殺されてただろうか。

列王記下1章ではアハズヤが病になり占い師に占ってもらった所、預言者エリヤに伺いを立ててない事にYHWHが怒って病気になったと教えられる。これに恐怖を覚え、エリヤを訪ねるようにしたアハズヤの使いを、エリヤとYHWHは100人余り火で燃やして殺した。人間の命をなんだと思っているのだろうか。

民数記26:61では、ナダブとアビフが自分の家の炭火で生贄を捧げようとして殺されている。どんだけ心が狭いんだか。




楽天ブログって文字数制限ハンパ無いですね…その2へ続きます。





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Last updated  Aug 3, 2013 06:49:02 AM
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TheKey@ Re[1]:【雑談】どうでもいいお話とかお礼とか(05/25) クソ馬鹿さんへ ご笑読頂きありがとうご…
クソ馬鹿@ Re:【雑談】どうでもいいお話とかお礼とか(05/25) こんにちは。 当方は「元々は多神教の考え…
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