【難しいお話】キリスト教に喧嘩を売ってみようVol.9 「YHWHは唯一神ではなかった」その2
その2です。 他の場面も見てみよう。創世記の、ヤコブが天使(というかYHWH。これに関してはメタトロンであるとかガブリエルだったとかYHWHだったとか諸説あるが、ヘブライ語的にはエル、即ち「神」の名称が使われた事を記しておく)と戦って勝利した逸話を見てみよう。 ヤコブはYHWHと戦って勝利し、イスラエル(Israel:神に勝った者、神を組み伏せた者との意味)と言う名前を授かった。 ちょっと待て。なんかおかしくないか?自分にちょっとでも不忠義なヤツは情け容赦なく殺しちゃうYHWHが、こんな不名誉な名前を何故許したのだ?これは後述する当時の時代背景が謎を解く鍵になる。即ち、カナーンの神エルがYHWHと戦ってYHWH勝ったという事をを暗示する箇所でもあり、ヤコブがイスラエルという名前を得たのはYHWHがカナーンの神エルと同化した事を象徴する箇所でもあると言える。 エルという名前は地名や人名などにとても多く使われるようになった。例えばエリヤ(Elijah)は「神である」という意味であるし(ヤ、jahはYHWHの縮約である)、ヤコブがエサウから逃げる道すがらにYHWHの夢を見て、そこをベテル(Bethel:神の家)と名付けた逸話がある。 YHWHの場合、ことユダヤ教では「その名前をみだりに呼んではならない」と厳格に締め付けているのに、エルの場合は人名・地名はおろか、果てには「神に勝った者」という名前にまで広範囲に使われるようになった。そして、これがYHWHとエルの融合の証拠になりえるのである。 何故なら、現代のクリスチャン及びユダヤ民族を見てみよう。彼らは決して自らの民族や宗教的ルーツを語る際に「イスラヤ」とは言わずに「イスラエル」と言うのである。この「ヤ」と「エル」の違いは大きい。これを見ると、カナーン(patheon)の最高神エルとYHWHが程よく融合されたことが窺える。 その融合の理由としては、ユダヤ人のカナーン定着・定住が、カナーン族のエル教との同和・融合なくしては極めて困難であったから、と言える。これは、YHWH信仰がカナーン定着の過程で起こった他宗教との同和・一致運動の賜物であると言える。 旧約の序盤から始まった「神」に対する名称の混在は、モーゼ五経に対する四文書説(J,E,D,P資料)で分析すれば把握することが可能である。 即ち、モーゼ五経は4つの伝承によって成り立つが、色んな伝承がごちゃ混ぜになって今日の聖書という経典になったのである。(4資料説については今度詳しく述べる。待てない人は各自で調べるがよろしい) ここで20世紀の神学者、オルト氏(A. Alt)の研究を引用したい。(別にPCのAltキーとは無関係) オルトの研究によると、カナーン定着の過程において多くのユダヤ族長達がエル別称(El epithets)を共有し始めたという。旧約の文脈を見ると、初期のユダヤの「神々」は主に一般的神名(Generic Name)であるエルに説明句をつけた形で述べられている。(XXXエル、エルXXXなど) 例をいくつか挙げよう。多いので箇条書きになる事をご容赦頂きたい。 種族間同盟のエル別称(El epithets) ・エルシャダイ(Elshadai) 創世記17:1、28:3、35:11、43:14、48:3、出エジプト記6:3、エゼキエル11:5など ・エルエリオン(El Elyon) 創世記14:18~24など ・エルオラム(El Olam) 創世記21:33など ・エルロイ(El Roi) 創世記16:13など ・ベテル(El Bethel) 創世記31:13、35:7など これらの「神」を表すエルは、聖書の当該箇所を読めば分かるように山・川・木・石などの特定の場所と結びついている、いわゆる土地神・シャーマニズム的な要素を帯びている。 また、これだけではない。他にもエル別称(El epithets)は使われていた。それは、名も無き神々(Nameless Gods)がカナーンの定着の過程で、先祖や族長の名前をつけて登場した件である。 これも箇条書きで記そう。 ・アブラハムの神 創世記28:13、31:42、31:53など ・イサクの神、ヤコブの神、イサクを守った畏怖すべき神 創世記31:42、31:53など ・ヤコブの神 創世記49:24など これらには族長宗教(シャーマニズム)の傾向が強く現れている。この様な神の名称でわかることは、族長が崇拝している神は その族長の名前と関連付けて呼ぶ、という事である。 先述のエルが場所や物と関連付けされていたように、後述の方は族長に関連付けられていることが明白である。 このように、カナーンに定着した部族間でエル別称(El epithets)を共有することにより、徐々にYHWH崇拝がカナーンに浸透して行ったと見られる。 ※資料出展 [A. Alt / Essays on Old Testament History and Religion / Oxford: Basil Blackwell, 1966] 一先ずここまで。パート2は早めにUPします。 結構短く纏めたつもりでしたが、文字数の壁は厚いですね。今回の分で5000強。パート2も似たり寄ったりな字数で上がります。 なので 今回はByeは言いません。この話が全て完結して Vol.10に行くときに言いますw しばし待ってください。意外と執筆、大変なんです…裏付けやら証拠集めやら、それの吟味やら。 それをさらに要約して字にしてるので、時間がかかるのは諦めてくださいw 頭の中でヘブライ語と英語と日本語がゴチャゴチャしてますよ… 間にインターミッションといいましょうか、閑話休題と申しましょうか、いくつか気楽な日記も乗せますが、執筆は諦めたわけではないですのでw