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Anti-Christianのバイブル研究

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Aug 3, 2013
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かなり長い間 違うお話ばかりしてましたねw
再び 連載開始しますよw

今回は「YHWHの邪悪な律法」について。




旧約の中での「人権」は古代社会的な発想そのものであると言える。女性を蔑み、異邦人に醜悪な呪いをかける辺りがそうであると言える。
異邦人に対する呪いは前に書いたのでここでは省略する。女性蔑視については、チャートを改めて詳しく述べる事にする。
今回は これら二点を除いた上での荒唐無稽な聖書の律法を見てみよう。
YHWHがモーゼに与えた律法は異邦人に対する敵対と、障害者に対する冒涜の極致にある。

すべて去勢した男子は主の会衆に加わってはならない。私生児は主の会衆に加わってはならない。その子孫は十代までも主の会衆に加わってはならない。アンモンびととモアブびとは主の会衆に加わってはならない。彼らの子孫は十代までも、いつまでも主の会衆に加わってはならない。(申命記23:1~3、口語訳)

旧約の中で、人間をどのように見ているかを良く表すゴミのような箇所の一つである。今度は同じ個所を新改訳で見てみよう。

だれも父の妻をめとって、父の衣の裾をあらわにしてはならない。睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者は主の会衆に加わることはできない。混血の人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても主の会衆に加わることはできない。アンモン人とモアブ人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることはできない。(申命記23:1~4、新改訳)

新改訳はかなり露骨な言葉で表わされていてちょっとビックリする。意味合いも違い、口語訳の「加わっては【ならない】」という表現が「加わる事は【できない】」に変えられている。能動的か受動的かの差異があるので、意味合いは全く違うようになる。
また特記すべき所として、口語訳の23章1節は新改訳では23章2節になっている。つまり、新改訳の23章1節が追加されているのである。これは翻訳の基礎となった写本が違う点に由来するが、中身が大きく違ってくる。(あるはずの言葉と無かった言葉などの差異)
これが一言一句間違いない聖書とか(以下略)

他の箇所も見てみよう。障害者は礼拝も献金も、何もかも出来ないと差別されている。

アロンに告げなさい。あなたの子孫のうちで、障害のある者は、代々にわたって、神に食物をささげる務めをしてはならない。だれでも、障害のある者、すなわち、目や足の不自由な者、鼻に欠陥のある者、手足の不釣り合いの者、手足の折れた者、背中にこぶのある者、目が弱く欠陥のある者、できものや疥癬のある者、睾丸のつぶれた者など、祭司アロンの子孫のうちで、以上の障害のある者はだれでも、主に燃やしてささげる献げ物の務めをしてはならない。彼には障害があるから、神に食物をささげる務めをしてはならない。(レビ記21:17~21)

この言葉通りにするならば、障害者はそもそも牧師または神父などにはなりえない。それどころか、交通事故で骨折した人間や水虫を患っているもの、ニキビが出来た学生などは全て教会に行けない。無論、眼鏡もダメだ。メガネをかけているクリスチャンは神を穢すので、さっさと教会をやめるべきかもしれない。
仮にも「愛の宗教」とか「義なる神を拝む」とかと謳っている宗教なのに、これは一体なんなのだろうか。障害者に向かって堂々と「貴様らは救われない」と断言してみたらどうなのだろうか。偽善ぶらないで。


また彼らに告げなさい。あなたたちの子孫のうちだれであれ、イスラエルの人々が主に奉納する聖なる献げ物に汚れたまま近づく者は、永久にわたしの前から断たれるであろう。わたしは主である。アロンの子孫であって、皮膚病にかかっている者や、漏出のある者はだれも、清くなるまでは聖なる献げ物を食べてはならない。死体に触れて汚れた者、精の漏出があった者、あるいは人を汚れさせる爬虫類、人を汚れさせる人間に触れた者は、その汚れの種類を問わず、すべてその日の夕方まで汚れている。彼は身を洗うまでは聖なる献げ物を食べることができない。日没になれば彼は清くなり、それ以後は聖なる献げ物を食べることができる。それは彼の食物だからである。死んだ動物や野獣にかみ殺された動物を食べて身を汚してはならない。わたしは主である。わたしの命令を守りなさい。それを破って罪を負い、それを汚して死を招いてはならない。わたしは彼らを聖別する主である。一般の人はだれも聖なる献げ物を食べてはならない。祭司のもとに滞在している者や雇い人も食べてはならない。(レビ記22:3~10)

おかしな訳を一つ指摘しておきたい。22章10節の「一般の人」と言うのは、原文の意味合いや韓国語版・中国語版・英語版などの聖書を見たら どれもこれも「異邦人(Alien)」と訳されている。5節の「爬虫類」も同様で、多くの聖書は「虫(Bug)」と訳されている。日本の訳はえらいマイルドにしてる。これが間違いのない聖書とか(以下略)

つまりは、病にかかっている人とか皮膚病(水虫とかアトピーとか)の人とか蚊に咬まれた人とか異邦人は「汚れた人」だとYHWHは強調しているのである。
障害者、異邦人、私生児、性的欠陥者、怪我人、病人は教会にも行けず、捧げものを食べる資格もなく、聖職にもつけないとYHWHは毒舌を吐いて差別しているのである。これらの律法の差別的邪悪さには言葉を失する。
(聖書はYHWHの言葉であるはずだろ、と)

もっと犯罪行為を増長している箇所もある。見てみよう。

死んだ動物は一切食べてはならない。町の中にいる寄留者に与えて食べさせるか、外国人に売りなさい。あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない。(申命記14:21)

ここで言う「死んだ動物」というのは、健康体を屠殺したモノを指すのではなく、「病気などにより自然死したモノ」を指す。なので、疾病の拡散防止や衛生面で見る限り、その点は非常に正しいと言える。
しかし、それを旅人や異邦人に食べさせたり売ったりしてもよい、と言うのはどういう事なんだ?不良食品の販売を勧めているのか?
分かりやすく現代風に言えば、「我が国の国民には放射能で汚染された食物を販売する事は禁じるが、諸外国に輸出するのはOK」と言ってるのと何が違うのかと問いたい。キチガイ甚だしい箇所である。

今度は奴隷について見てみよう。奴隷の問題は女性蔑視とともに、聖書ではよく言及されている人権問題であり、歴史上の奴隷商人が自分の行動の正当化や男尊女卑思想家の自己正当化によく使われていた。
出エジプト21:20~21、申命記15:16~17などを参照してほしい。

自分たちがエジプトで奴隷生活をしていて、そのつらさをYHWHに訴えたわりには自分たちも同じように奴隷を活用していた事実に失笑を禁じ得ない。
それは置いとくとして、当時の社会状況を考察すると 奴隷から解放されても生計を維持する事が出来ない人はままいたとされる。そもそも奴隷としてつれてこられた場所(元々生活していた所)と現在の生活拠点が一致していたと見るのは難しい。なので、一生奴隷制度を推奨(?)しているわけである。これは人権的に正しいと言えるのだろうか。
また、奴隷は人間としての価値を全く与えられてなかった。出エジプト記21:30と21:32を引用したい。

もし、賠償金が要求された場合には、自分の命の代償として、要求されたとおりに支払わねばならない。(出エジプト記21:30)

もし、牛が男奴隷あるいは女奴隷を突いた場合は、銀三十シェケルをその主人に支払い、その牛は石で打ち殺されねばならない。(出エジプト記21:32)

30節は「奴隷ではない一般人」を牛が殺めた場合である。この場合は飼い主は死刑、もしくは言い値の賠償金を支払うことになっている。
しかし、それ(被害者)が奴隷だった場合には32節の通り、飼い主は銀30シェケルという「はした金」だけで済むのである。人間の命が、たった銀30シェケルであるとYHWHは定義している。あほらしい神である。

また、モーゼ律法は「やるな、やってはならない」という否定的論法で満ち溢れている。それらは全人類に適するものではなく、ユダヤ民族の風習に纏わる様な話でしかないと言える。
例えばレビ記12章3節。赤ん坊は産まれて8日目に割礼(包茎手術)を受ける事が義務付けられている。
(余談だが、オレも病的原理主義クリスチャンの母親に生後8日目に医者の反対を押し切って包茎手術を受けた過去を持つ。傷跡が未だにあったりする)
割礼、即ち包茎手術は医学的見地で見て、それほど利になる事のないユダヤ民族の風習の一環でしかないと言える。
多くの「●×クリニック」とかの院長医師が包茎手術の利点・長所を強調していたりするが、それに該当する人は性器の表皮に問題を抱えているごく少数である事は言うまでもない事実である。

下世話な話から違う点に目線を変えよう。

あなたたちはわたしの掟を守りなさい。二種の家畜を交配させたり、一つの畑に二種の種を蒔いてはならない。また二種の糸で織った衣服を身に着けてはならない。(レビ記19:19)

毛糸と亜麻糸とを織り合わせた着物を着てはならない。(申命記22:11)

2種類の材料を使い混織された着物を着てはならないとされている。今時のご時世にポリエステルと他の材料との混織じゃない服を探すほうが難しく、また高価だったりもする。これを禁止している正当性が全く分からない。

そして食べ物に関する禁止事項はそれこそ膨大な数に上る。これだけで字数を相当食うので(mixiに跳ねられるので)、気になる人は是非レビ記11章を広げて読んでほしい。

食べてはならないとされている理由も「汚れている」とかとの一方的な決め付けで困惑しそうだが、仮にもYHWHが造ったとされる被造物を「汚れている」とかと定義している事に驚愕である。
YHWHは何故「汚れているもの」を創造したのだろうか?創造しなければ、そもそもこういった律法自体必要なかったではないか。

それに、汚れたものが皿に触れたら皿を割れとか、汚れたものが体に触れたら日没まで汚れるとか…荒唐無稽の極致と言える。なんだその「えんがちょ」と言いたい。
人間以外の生命体の多くを否定し(汚れているとかと勝手に定義し)、体に触れるだけでも「汚れる」と思うのはただ単にユダヤ民族の傲慢と独善から生まれたものではないのだろうか?


さて、ここまで読んだクリスチャンからの反論が手に取るように分かる。
「上で述べた律法は全てイエスによって廃止(無効化)されたものなのに、何故それを責めるのか」と言うだろう。
しかし、その廃止された律法である「十一献金」は何故教会で行われているのだろうか。
そして、何故廃止された律法だらけなレビ記と申命記をバイブルにずっと加えているのだろうか。廃止されているのならば加える必要はなかろう?

そして核心を一つついてみよう。
果たして、その旧約の律法は本当に、本っっっ当に廃止されているのか?
その点に関しては新しい約束、つまり「新約」を見ればはっきりするだろう。
新約はこれについて二分する意見を述べている。
つまりは、「律法は廃止されている」と言及している反面、一方では「律法は廃止されていず、守らなければならない」と言及している。まさに自己矛盾である。





字数の関係で 一度切ります。続きはすぐにUPします。





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Last updated  Aug 3, 2013 07:07:54 AM
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