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れおんのあゆみ

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2005.09.02
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大学、通教ネタではありませんが、テーマタイトルがここっぽいのでこのテーマのところに書きます。
 私は、専門学科がある高校を卒業しました。家政科なんですけどね・・・・今は、生活文化科に改変しているますが、あと、数年で統廃合されます。当時は、家政科と商業科の公立の高校で、99%女子高でした。(1.2年のころは、100%女子高、3年のころ1年に男子が入学してきて、一応、共学?でした)
 大学入学用の卒業証明を昨年秋に、取りにひさしぶりに母校に行きましたが生徒数も少なくなり、さびしい雰囲気でした・・・・(一応、都内にあり毎年、七夕のころに朝顔市があるところです)

 ある意味で、専門科目ばかりなので、大学や専門学校みたいな感じで実習(演習)中心でした。

 主な専門科目は、食物、被服、保育、家庭経営、住居 というもので講義と実習が中心で授業の1/3を占めていました。残りは、普通の国語、数学、英語、社会、生物、化学、体育など一般科目の授業が2/3でした。

 高校生のころの専門科目は、こんな感じでした。

 *被服*
 週に2回(3年の時は、週3回)授業がありました。
 被服は、作品作りが中心でした。講義は、作品作りが一旦終了する、学期初めと終わりが中心でした。(デザインとか色彩などの話もありました)あと、実験も1回だけ(布の可燃性の実験)ありました。作品は、ジャケット・スカート、浴衣、コートとかです。授業中に先生が作業工程の講義をし、その後、先生が説明した部分までを製作していき、終わらなければお持ち帰り(宿題)でした。というのも強制ではありませんが、作業しておかないと次の授業についていけない状態でした。嫌なことに私は、中学時代から被服製作、特にミシンが苦手で、被服の授業は地獄でした。それも、嫌なことに1年生のころは、被服の授業が、金・土と続いてあり、金曜日は夜中までかかって、ミシンの前で泣きながらお持ち帰りの作品の作業をしていました。1年間でようやく、人並みにできるようになりましたが・・・・

*家庭経営*
 1年生から2年生の途中まで週に1回ありました。
 家族にかかわる法律(憲法や民法など)について、例えば、婚姻が可能な年齢、出生届け、死亡届けなどを学びました。
あとは、生活設計(ライフサイクル)、家計簿の話などかあったと思います。
 
 *住居*
 2年生途中から週1回授業がありました。(家庭経営の分野の授業終了後に住居の学習に入りました。)
 住居の歴史、(竪穴式住居、高床式住居とか)住宅設計図(見取り図)、照明の関すること、作業空間の高さなどの話があったと思います。家族数を決め、住宅を設計するような課題をやったような記憶があります

この続きは、また明日以降に・・・・・





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Last updated  2005.09.02 23:12:43
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