出張で東京に行った時
出張で東京に行った時今だに職を決まらずに、25歳の時(学校を卒業して2年)暮れに小さな設計事務所に入った。自分は、こういう小さな設計事務所が疲れなくていい。金は安いけど、気分良く働ける事務所がいい。そして、測量をする測量事務所がいいとなった。(それは27歳の時に)ここの所長は、小さな体の60歳ぐらいの大人しい男だ。本職の土木設計は2人と自分で、建築設計は4人いた。土木主任は35歳ぐらいで、仕事は無く、建築と3人が仲が悪かった。中でも大人しい建築設計の人とは仲良くなり、会社を辞めてからも時々会って酒を飲み、自分の結婚式にも来てくれた。年が明けて、正月の15日に「東京に出張してくれ」と言われた。実は、札幌の事務所は東京の営業所だったのだ。しかも、東京の社長が札幌の所長の息子であった。東京の社長は、年は38歳で太って穏やかな人だった。東京へ出張で行くのは嫌だけど、承知致した。東京へは、特急列車で行った。最初は3週間の出張で、出張先は東京都豊島区巣鴨駅前のビルであった。営業の人は、社長と同じ大学の同期であった。後は、30歳ぐらいの主任と2人と日大のアルバイトと女の子2人だった。宿舎は、埼玉県蕨市(現川口市)に住んでいる営業の人が1人身の為で、そこにいっしょに住む事になった。それで、彼は毎日酒を飲んでいた。(自分も、ちょっとだけ付き合っていた)社長と主任は、人に話し掛ける時は「○○さあ、ー」と言う。(〇は人名)「さあ」と、方言なのか不思議な言葉を言う、それが印象に残った。蕨市(わらびし)は、アルバイトの人と自分の親戚が芦別市から住んでいる所だ。アルバイトの人とは、仲良くなり、今でも年賀状をやり取りをしている。後は、彼は埼玉県庁に入り、今は定年で辞めて、埼玉から札幌(美園)まで遊びに来てうちに泊った事もある。社員の1人は、自分と同じ年で、札幌の人であり、自分と同じように札幌から東京に来た人で、3回もいっしょに会社から近い自宅の飲み屋に行って、いい感じになった。仕事は、擁壁の設計で、社長が支持して仕事をした。まあ、いい所である。営業の人は気が利かない人で、会社の人達とは仲良くしていた。3週間過ぎて、何事になく札幌に帰り、3月の下旬にまた長く出張した。また、蕨市に住んだ。それで10日ぐらいして、営業の人と些細な事でケンカをした。すぐさま蕨市の家を出て、何気なく新宿に向かった。宿は無しで、新宿の今は無い安い宿、深夜もやっている24時間喫茶店、1日中やっているサウナ風呂、土曜日には深夜興行の映画館に寝泊まりをした。寝不足も何のその、次の日はケロッとしている。新宿から巣鴨と、国鉄の定期券を買って、夜は新宿の町をぶらついた。もうこうなったら、東京の町中を巡り回った。昼間は擁壁の仕事をやり、夜は飲み屋には行かなかったが、新宿の安い食堂に入り浸り、1品料理は納豆は幾ら、豆腐は幾らという店だった。(その食堂は無くなった)安い宿(中田屋 ベット・ハウス)、喫茶店(マイアミ ゴールド パリシュ ルフラン 紅)、サウナ(フィンランド)、映画館(新宿座 新宿松竹 西荻名画座 文芸坐)等の店を代わりばんこに入った。(手帳に書いてある)ベット・ハウスは21回通った。サウナで、ホモに会った事もある。(いずれも、その店は無くなっている)6月に入り暑く成り、東京の事務所から札幌の事務所に、用があって電話を入れると、間違えて自分のうちに電話を入れた。始めは、すぐ上の義理の兄が出たんだが、「ちょっと代わってくれ」と言っている。「あれっ」と思うと、すぐ姉が出て、自分が「どうして、そこにいるんだ」、姉は「あんた、自分のうちに掛けているんでしょう」と、自分は「いやー間違えた」と。暑くて、頭がどうにかしていたんだ。2番目の姉の義理の兄が電話をくれて、「出張で東京に来ているので」と目黒区の”雅叙園ホテル”にいっしょに泊った。雅叙園ホテルは布団がフカフカで、壁の挿絵が大型であり豪華で素晴らしかった。夜行列車で行き、夜行列車で帰ってくる清里、野辺山にも行った。詳細は、紙に書いている。もう、好き放題である。当然、寅さんの故郷、葛飾柴又にも3回行った。今まで、葛飾柴又は25回行っているし、よくもまあ変わりはしないのに25回も行ったものだ。(呆れる)荷物が溜まり、コインロッカーに入れて(自分専用)、多くなったら家に送った。7月上旬に成ると非常に暑く、そして疲れて耐えられなく、足が痛くて、もう東京にいるのも嫌になったきた。事務所はビルの3階で、クーラーも無かった。始めから出張の為でも、遊びのつもりで東京に来たので、社長に「もう帰りたい」と言うと「このまま、こっちで働いてもいいんだよ。札幌に帰っても仕事はないぞ」と言われた。それでも東京に住むのは嫌で(暑くて人が多すぎる)、札幌に帰ってからはすぐ事務所を辞めた。事務所を辞めて、しばらくアルバイトをした。27歳になって、要約測量設計会社に入った。結局この事務所では、札幌で人を雇入れて東京へ呼ぶという事だ。東京には、合計約3月間いた。東京に住むのは嫌だが、たまに行くのはいい。後で、仲良くなったアルバイトの人から聞いた話では、同じ年の人は札幌に帰っている時、海に遊びに来ていて、溺れて亡くなったそうだ。営業の人は、後に結婚して、50歳の時に胃ガンで亡くなったらしい。数年前に行った所、巣鴨の事務所は無くなり、通った居酒屋も無くなっていた。あーあ「諸行無常」だよ。今の新宿駅東口駅は変わりがないが、新宿はえらく変わった。新宿をずっと見て来たが(東京へ行くと、必ず新宿に寄ってくる)、東京は変わったが新宿も変わった。東京の中では、上野が1番で新宿が2番、巣鴨が3番で愛着がある。