母からの手紙。(かなり長文かも)
先日のこと、母から突然手紙がきました。他にもお菓子やらドリンク剤やらがぎっしり詰め込まれた、びっくり箱のような小包に、その手紙は同封されていたんだけど、小包の宛先には、今の苗字(新姓)が、ちゃんと書かれてあるのにその中にポンっと入っていた手紙の封筒には、わざわざ、私の旧姓のフルネームが書かれていて、なんじゃぁ~??って思って封をあけてみれば・・・(・・・相方、旧姓を見て、曰く、「俺と結婚したことをまだ認めてないのかー」)母からのお手紙・・・・・「ずっと謝らなければと思いながら今に至ってしまいました。貴女の学生時代、ボタンの上がかけまちがっているといって貴女を責めたことがあったけど、かけまちがっていたのは、私自身だって気づきました。いろいろ長い手紙で貴女を追い詰めたり苦しめたことがようやく分かりました。ほんとうにごめんね。でもあづみがRED君と幸福になってくれて心からうれしいです。」なんていう内容の手紙。予期せぬ、突然の、母からのお手紙。何を思ってそんな手紙をよこしてくれたのかよく分からなかったけど、なんだかとにかく泣けて泣けて泣けて泣けました。・・・学生時代の頃、実家を離れて暮らしていた私のもとには、母からの、何通もの、「終わりは近い!真理のもとに立ち返れ!」という内容の手紙が、それはそれはもうすごい勢いでやってきてまして・・・。最初は私も私の気持ちを伝えるために手紙を送り返していたんだけど、気持ちがまったく伝わらないことに疲れ果て、てか、もともとが筆不精なこともあって、手紙を返さなかったら、・・・や、それでも、向こうからは、飽きもせずに何通も何通もくるんだけど、しまいにゃ、"No letter and no telephone!!"(訳:手紙もなければ電話もない!!)という、英語の書きだしからはじまる、お怒りのお言葉、、、そして、またこの文章に続くのは、いつものように、7枚くらいある聖句・聖句・聖句+帰ってこいコール。(この後はさすがに日本語だったけど)「あなたは何も分かってない!滅びは近い!」という内容のお手紙。もうね、こんなことばっかり続けられて、ほんと精神的にまいりました。しかも、なして最初だけ英語やねん!と。今なら笑えるけど、だって「ノーレター アンド ノーテレフォン!!」てさ・・・。いったい何人何者やねんと。相方とのブラックジョークネタにもなってるけど、当時はマジ笑えなかったよそりゃ・・・。なにをいおうが、涙ながらに訴えようが、「真理真理真理、これだけが正しいのだ、あなたは間違っている。若いからまだ分からないだけ」と、そういうだけ。こうまで伝わらない相手には、手紙ももう何も書けなくて・・・それでも、お母さん、返事をほしいと求めるならば、私の「死」をもって、私の返事としてやろうかと、そしたらわかってくれるかい?・・・と、そんなどこまでも濃く深く暗く残酷で冷酷でどず黒い気持ちもあって、それでも私は愛されていて・・・母なりに私を愛してくれているとそこだけは、ちゃんと分かってしまうのが苦しくて、どうにも気持ちのもっていき場所がなくて、憎めて憎めて憎み切れたら楽なのにと。そんなことを思って追い詰められもしたけど、あれからかれこれ何年だろう・・・。あの頃には想像できなかった幸せを手にして、あの頃には考えられなかった今のこの状況。。。後日、母に電話をすると、自分が間違っていたと思う理由は、この前あった巡回訪問で、監督が、「正論では子どもの心は動かない」と講演で語っていたそうで、それを母は聞いて、今まで自分がしてきた行為の間違いに、はっと気づいたらしい。あづみには、これだけが正しいから、とにかく伝えなきゃと思って手紙を送り続けてきたけど、それはあづみの求めてるものじゃなくて苦しめるだけのものだったんだと、あづみのいってたことが、やっとわかったと。もう自分は60もすぎて、明日どうなるか分からないし、謝らないまま死んでいくのは嫌だからと、なんでもそのときに伝えておきたいから・・・、・・・と、母は悩みながらも、あの手紙を書いて謝りの気持ちを伝えてくれたみたいで。まー、JWの教えが正論かい!?という突っ込みはおいといて、、、絶対に自分が正しいと今まで思って疑わなかった母が、変わった。もちろん、JWが間違ってると思ったわけではないしそれは一生思うことはないだろうと思う。だけど、あの手紙は、うちらにとっては親子関係の大きな変化だと。。人の想いというのは、なにがきっかけで変わるかわからないものだなぁと、何度私が涙ながらに同じようなことを言ってみても、そのときには何も伝わらなくて、でも、後で、・・・当事者以外の人の影響で気づくということもあるものだと。しかも60にもなって。いくら年を食っても、気づくこと、あらためることはいっぱいあるんだなと。人生いろいろだなと。60になってまで、自分が間違っていたと、そう改めて語れる母はある意味尊敬できる人で・・・。そして、お菓子やらドリンク剤やらがぎっしり詰められてる箱をみつめながら、私の旧姓・フルネームが書かれた手紙の封筒をみつめながら、私はまだまだ・・・ずっと、あの人にとってかわいいかわいい娘なのだろうなぁと。そう思うと、うちは親からも相方からも・・・いろんないろんな人から愛されていてとてもとても恵まれていて幸せもので、そんなことを思って、同時に苦しかった過去を思い返して、現在に、とてもとてもありがたくて、ああ、ありがたくてせつなくて、なんだか泣けました。先日のオフでも思ったけど、うちは、いろんな仲間にも恵まれていて、いろんな人の想いがうれしくて、なぜかよくわからんけど、うちの頭の中には、さだまさしの「償い」という曲にある、あの、♪ありがたくてありがたくてありがたくてありがたくてありがたくて♪ってフレーズが、ぐるぐる流れてるくらいせつないほどのありがたさで、こわいくらい、ありがたいのです。