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カテゴリ:家族―血縁関係。
大学時代、卒論で「アダルトチルドレン」問題を扱っている友人がいて、
ゼミの時に、そのテーマで議論が行われたことがあったんだけど、 「機能不全家族」のチェック項目ってのを、彼女はレジュメにもってきてて、みんなそれを見ていたのね。 誰の案だったか忘れたけど、まぁネットで「機能不全家族」でぐぐれば、 ・・・そうそうこんなヤツ。 http://www.ask.or.jp/actype.html 当時のアタシャ「当てはまりまくりだよ」ってかんじだったけど。 今現在、上のURLのチェック項目をしてみても、 「ヒーロー」と「いなくなった子」と「世話役」に当てはまる箇所が多いしねぇ。 で、議論も佳境に入ってきた頃、教授は、 このACチェック項目に該当する箇所がなく、「自分は機能完全家族で育った」と言える人はいるか? みたいな質問をしたんだけど、そんな人は皆無で、 どうもなぁ・・・「機能完全家族」で育ったという人がいるならば見てみたい、なんて感想を述べてて、 「たしかに・・・」と思ったんだけど、 ・・・機能不全家族 VS 機能完全家族・・・ あの頃の私にとって、「機能完全家族」という言葉から感じることは、安直過ぎる胡散臭さ、、、 ・・・まさに、エホ証の「私たちは神権家族、神のみ前に一致しているから幸せな家庭です」 ってかんじの胡散臭い匂いだった。 人はどんな社会に、どんな夫婦を親として、どんな家庭に生れ落ちるかは分からない。 受身であるその生。だが、どんな役割だろうが、 人は生れ落ちてしまったところにおいて、それぞれの役割を受け入れて主体的に生きていくしかない。 私の中に、今でも心に残っているひとつの表現がある。 詩人・吉野弘の「I was born」という表現だ。 ACという言葉を聞くたびに、その簡単な英語表現が私の心をよぎる。 私はこの詩もまた大学時代に読んだが、なんだかめちゃめちゃ泣いた覚えがある。 ・・・以前日記に書いた「祝婚歌」もそうだが、吉野弘さんに一時期の私ははまっちゃってたみたいで。 学校の教科書にも使用されることのある詩…けっこう長い詩だったので、内容を簡単に書くと・・・ ******* 学校で英語を習い始めて間もない少年が、父と寺の境内を歩いているのだけど、そこで妊娠している女とすれ違う。 その時に少年はふと気づく。 「I was born」が受身形であるということに。 <生まれる>ということがまさしく<受身>である訳に気づいた少年は、父に興奮して語りかける。 ―やっぱりI was bornなんだね― ―I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意思ではないんだね。― その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。 それを察するには 少年はまだ余りに幼なかった。彼にとってこの事は<文法上の単純な発見>に過ぎなかったのだから。 そこで父は無言で暫く歩いた後、子どもに語りかける。 生まれてから2,3日で死ぬ蜻蛉という虫の話・・・その生誕の神秘と生き死にの哀しみ。 お母さんが息子を産み落としてすぐに死なれたこと・・・。 ******* 私のつたない説明より詩の全文を味わっていただいた方がいいのでしょうが、 …っていいURLが見つからなかったので、こんなんで、、 http://www3.justnet.ne.jp/~soya/01test/01_02gen/yosino01.html ・・・私たちはなんのために生まれてきたのか。なんのために生きてゆくのか・・・ この詩のレビューを見ると、 -「受身形」で与えられた生を、自分の生として主体的に引き受けていかなければならない、 そのような生の根源的意味を、思春期の少年の姿を通して、その詩は語りかけてくれる- そんな内容のことがよく書かれている。 I was born・・・そうとれば、深い響きに聞こえる。 や、で、ね、話はちょっと変わるんだけど、こんな前振りしといて何を言うかってかんじなんだけど、 今になって・・・思うのは・・・さぁ、 相方と二人だけの「家族」においては、わたしたちは「機能完全家族」といえるような気がするんだぁねぇ・・・ってこと。 相方は、もちろん私の夫であるのだが、時には父のように私を包んでくれる存在であったり かと思えば手のかかる息子のようにどうしようもなく甘えてきたり、 時には尊敬できる「おにいちゃん」的な影をそこに感じたり、かと思えばかわいい弟キャラにみえたり、 時には親友のようにアレコレ語り合ったり・・・ 反対に返せば、私は相方にとって娘であり母であり妹であり姉であり親友・・・というわけになるのだろうが、 相方という一人の存在の中に、もうすべて、父・息子・兄・弟・・・ 「家族」というものを構成するのに必要であるいろいろな人物的役割が含まれているわけで それが二人の間においては、まさにそうして「機能」しているんでありまするよ。 で、もし、この二人の家族に、自分のホンモノの親あるいは子どもを加えるとすると、 「機能不全」に陥る可能性が高いとも思うわけでして。 相方は私にとって最高に良き夫だとは思うが、良き父になるとは思えない・・・。 私の心のメンテができるのは相方しかいないと思うけど、 子供の心には、ん~、どう考えてもヘンなことしか吹き込みそうにないし・・・ 私、自分の子供がさー、2ちゃんねらーの相方のマネをして「チョセンチョセン」なんて言い出すと、 マジでマジでマジで怒りそうな気がするしね・・・。 相方の言動・衝動はさー、今更変えてどうなるもんでもないし、 「分かっていながらのオトナのすること」として捉えているから、 「しょうがないなぁーコヤツはほんとに」で済ましているけど、 「子供の教育」に影響してくるとなると、「しょうがないなぁ」では済ませなくなり 二人の間に、今までにはなかった喧嘩や不和が生じることもあるかもと思うのね。 まー、それはアタクシもで、 相方は私のことをよく「あづは有能な妻だよ」とサブぃエホ証用語で褒めてくれるが まーたしかに、こんな私だって相方限定にとっては、いい妻っぷりを発揮していられるんじゃないかとは思うのよ。 ひどい時にゃ、相方の妻が務まるのはアタシだけだよまったくもぉ…とさえ思うし、 そういいつつそれが嬉しくもあるんだろうが、 まぁなんつーか、そういう妻としての責任も果たせるだろう、これからも果たしていきたいとは思えるけど、 相方と築いていくこの家庭において、良き母親になれるとは思えないし、なりたいとも思わない。 私は私のしたいこと、仕事や趣味があるし、 それを犠牲にしてまで、我が子の面倒を見ることに時間と精神を注ぎたいとは思えないし、 そういういろいろなことを考えれば、子供にとっていい環境を提供できるとは思えない。 現代という社会的環境もそうだが、個人的にも、良き家庭環境を提供できるとは思えない。 ・・・愛してるならその人の子供を生みたくなるもんだ・・・ そうか?本当にそうか?普通の女性というもんは本当にそう思うものなのか!? いくら愛してるからといって、 始終「かまってかまってかまってかまって」のダンナと一緒に、 かまわなきゃどうしようもならない、より手のかかるだろう子供を育てたいなんて、 そぉんな疲れそうなこと、地球がひっくりかえっても思えないね。 私に備わっている母性はダンナに注ぐためだけにあるのよ・・・って言い切れるもん。 まぁこの少子化の日本において、子供を生める状態なのに生まない夫婦とは非国民かもしれないが、 だけどだけどだけどね、生みたいと思わないんだからしょうがないじゃん。 相方も「子作りする行為は好きだが子どもはいらん」って言ってるし、 夫婦の総意として子どもを必要としていない以上、私は子どもを生む理由がない。 別に「虐待は連鎖するから子供を生むのが怖い」とかそういう理由じゃなくてさ、 子どもはダンナだけで十分だと思うんだもん。 私だって時には子どもというか猫になって相方ににゃーにゃー甘えたいんだもん。 隣の家から幼い子どもの泣き声が聞こえてくれば それに合わせて二人して「あーあー」わめいてみるレベルの家庭において、 モノホンの子どもをそこに加えたいとは、これっぽちも思えないんだもん。 子どもは自分たちだけで十分お腹いっぱい。 げっぷ。 ・・・子どもがいなくて、老後はどうするの?・・・ 「子どもは生まないつもり」と言ったら、友人にそんなことをいわれた。 どうするもこうするも、 今のうちにしっかり働いて経済的土台を作っていればなんとかなるだろう。 二人で農業するのもいいし、小さなお店を開いてもいいし、海外で暮らすのも悪くない。 ちょこちょこと旅に出れたら、私としては最高にいいんだけど。 だいたい、子どもに私たちの面倒を見ろと、そんな重荷を背負わせるのも嫌だ。 ダンナが死ねば私も後を追って死んだって、この世に未練も悔いもないし、 ・・・まぁ今だってそんなもんさ・・・ 二人でにっちもさっちもいかなくなったら心中してもいい。 この世に何も残さなくていいから。 強いて言うなら、遺書でも書いて残したいかな。 誰に宛てるというわけでなく、なんとなく綴るもの。 この世に生まれおちてから今までのこと、二人で暮らした日々… 世界で一番幸せな遺書を書いて残して、静かに塵になりたい。 んー、やたらまとまりなくノロケともマジ語りともつかないような話をツラツラ書きなぐったような気がするけど・・・ それが今現在のアタクシの考えでございますです・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 27, 2005 07:08:51 PM
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